親としてのアイデンティティ

「ヨセフは目覚めて起きると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。」 (マタイ福音書1章24節)
 ヨセフは婚約者のマリアが身ごもっていると聞いてショックを受けたでしょう。しかし、夢の中で主の天使に告げられた通り、ヨセフは、自分によらずに身ごもった子どもを、自分の子として受け入れました。それはヨセフの優しさと信仰による決断でした。ヨセフはイエスさまの養父となることを受入れたのです。しかし、ヨセフはイエスさまとの関係において、親としてのアイデンティティに苦しむということが、少なからずあったのではないかと思うのです。しかし、人は血縁関係を超えた絆をつくることができます。親子って血の繋がりだけではなくて、関係性として親子であることができます。それを可能にしてくれるのは、血縁関係の枠を超えて「共に生きていこう」という思いが腑に落ちたところにあるのではないでしょうか。逆に血の関係があっても、互いの人格や個性を見過ごしてしまうことで、関係が壊れてしまうこともありますね。ヨセフにとって、マリアを妻に迎えた時の覚悟というのは、血の関係があっても無くても、どんな困難があっても「この子と一緒に生きていこう」と、それが神さまに与えられた生き方だと受け止めたところにあったのでしょう。そうして、「イエスは神と人から恵みを受けて、知恵が増し、背丈も伸びていった」のです。(ルカ 2:52)
《祈り》神さま、ヨセフはみ言葉を聞いて「マリアを妻に迎えた」のです。「迎えた」というのは神さまの計画、神さまの呼びかけへの応答です。私も迎えます。私も受け入れます。あなたの最善に繋がるご計画を。
牧師 和田一郎
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