人は一緒に一人でいるしかない
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると『みんなが捜しています』と言った。イエスは言われた。『近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。私はそのために出て来たのである。』」 (マルコによる福音書1章35-38節)
ある時、教会の部屋にいた中学生4~5人がゲーム機を手にして集まっているのを目にしました。「オンラインゲームしているの?」と聞いたら、そうではなくお互いに別々のゲームをしているらしい。つまり集団で一人遊びをしているのです。家で一人でゲームしているよりもみんなで遊んだ方が楽しいに決まっている。でも同じゲームじゃなくて自分が好きなゲームをそれぞれ楽しんでいる。それも今の楽しみ方の一つなのだと思いました。 「トゥゲザー・アンド・アローン」という言葉を目にしました。オルテガという思想家の言葉で日本語にすれば「和して同ぜず」という意味だそうです。人と協調するが、安易に同調することはしない。和を大切にするが主体性をもつということだそうです。 イエスさまは、いつも弟子たちと一緒に寝食をともにしていながら、一人でいた人です。多くの人々に囲まれていても、いつも主体的な「個」をもっていました。それは父なる神との交わりをもつ時間であり、自分と向き合い祈る時間だったのです。多くの人々に福音を宣べ伝え癒しの業を続ける、その力の源は人々から離れ、一人で父なる神さまの前で祈ることで満たされていたのです。多忙であるにもかかわらず祈ったのではなく、多忙であったからこそイエスさまは、「個」を大切にし、祈っておられたのです。
《祈り》神さま、私は一人でいることが好きです。人の中に身を置くことや、対人関係を気にするのも苦手です。ですがイエスさまが、いつも行っていたように、人の和に加わりながら、あなたとの時間を大切にしたいと思いました。主よ支えてくださいますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
ある時、教会の部屋にいた中学生4~5人がゲーム機を手にして集まっているのを目にしました。「オンラインゲームしているの?」と聞いたら、そうではなくお互いに別々のゲームをしているらしい。つまり集団で一人遊びをしているのです。家で一人でゲームしているよりもみんなで遊んだ方が楽しいに決まっている。でも同じゲームじゃなくて自分が好きなゲームをそれぞれ楽しんでいる。それも今の楽しみ方の一つなのだと思いました。 「トゥゲザー・アンド・アローン」という言葉を目にしました。オルテガという思想家の言葉で日本語にすれば「和して同ぜず」という意味だそうです。人と協調するが、安易に同調することはしない。和を大切にするが主体性をもつということだそうです。 イエスさまは、いつも弟子たちと一緒に寝食をともにしていながら、一人でいた人です。多くの人々に囲まれていても、いつも主体的な「個」をもっていました。それは父なる神との交わりをもつ時間であり、自分と向き合い祈る時間だったのです。多くの人々に福音を宣べ伝え癒しの業を続ける、その力の源は人々から離れ、一人で父なる神さまの前で祈ることで満たされていたのです。多忙であるにもかかわらず祈ったのではなく、多忙であったからこそイエスさまは、「個」を大切にし、祈っておられたのです。
《祈り》神さま、私は一人でいることが好きです。人の中に身を置くことや、対人関係を気にするのも苦手です。ですがイエスさまが、いつも行っていたように、人の和に加わりながら、あなたとの時間を大切にしたいと思いました。主よ支えてくださいますように。
牧師 和田一郎
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