肯定的に生きよう
「感謝の言葉を口にしなさい。」 (エフェソの信徒への手紙5章4節)
『ざぼんじいさんのかきのき』という絵本があります。ケチな、ざぼんじいさんと、どんなことも「ありがとう」と喜んでしまう、まあばあさんが登場します。ざぼんじいさんの庭には柿の木がありました。まあばあさんが柿の実をほめると「どうですか。おひとつ。ほれ、見事な柿のヘタですよ」と言って、自分が食べたあとの柿のヘタをあげたのです。ざぼんじいさんには、人の期待をへし折ろうとする意地悪な心がありました。でも、まあばあさんは「まあ、りっぱなへたね。ありがとう!」と満面の笑顔で持って帰り、子どもたちを集めて柿のヘタで作ったコマを回すと、みんな大喜び。「ぼくも同じヘタが欲しいな」と言う声を遠くで聞いたざぼんじいさんは、柿の実をぜんぶ採って隠しました、そして、残った柿の葉っぱをあげました。すると今度もまあばあさんは大喜び、子どもたちと葉っぱで首飾りやお人形を作りました。ざぼんじいさんは、葉っぱをもうあげたくないので、枝をあげました。「まあ、今度は枝ね。ありがとう」と喜びます。枝を使って作ったのは、おいしい棒パンでした。まあばあさんは、受け取るものがどんなものであれ、それを生かすことを考えるのです。ざぼんじいさんは、今度も柿の枝をもらいに来るだろうと思い、慌てて柿の木を切ってしまいました。おじいさんは、自分の大事な柿の木を台なしにしてしまったことに気づき、泣いてしまったのです。しかし、お話の結末は、まあばあさんの肯定的な発想が、ケチなざぼんじいさんの窮地を包み込んでいくのです。 キリストに倣う者として、ふさわしい生き方は、いつもキリストの恵みに感謝して生きることです。使徒パウロが、「感謝の言葉を口にしなさい」 といっているのは、すべてのものを益とされる神さまが与えてくださるものには、何一つ無駄がないからです。まあばあさんの肯定感に満ちた発想はキリストの恵みに感謝して生きることにつながります。そしてざぼんじいさんの人をがっかりさせるマイナスの力に出会うことがあっても、勝ち負けではなく、共に生きていくことができるのです。本当に自分の罪をキリストの十字架から知る人は、その罪が赦されていることに感謝できます。わたしたちに必要なのは、キリストの恵みに感謝して生きることです。どんなことも、どんな時も「感謝の言葉を口にする。」感謝は信仰の告白なのですね。
《祈り》主よ、私の罪を十字架に打ちつけてくださり、ありがとうございます。これからも小さなものを大切にされる神さまの心を持ち、小さなことに感謝して、一生感謝の心で残りの人生を生きていけますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
『ざぼんじいさんのかきのき』という絵本があります。ケチな、ざぼんじいさんと、どんなことも「ありがとう」と喜んでしまう、まあばあさんが登場します。ざぼんじいさんの庭には柿の木がありました。まあばあさんが柿の実をほめると「どうですか。おひとつ。ほれ、見事な柿のヘタですよ」と言って、自分が食べたあとの柿のヘタをあげたのです。ざぼんじいさんには、人の期待をへし折ろうとする意地悪な心がありました。でも、まあばあさんは「まあ、りっぱなへたね。ありがとう!」と満面の笑顔で持って帰り、子どもたちを集めて柿のヘタで作ったコマを回すと、みんな大喜び。「ぼくも同じヘタが欲しいな」と言う声を遠くで聞いたざぼんじいさんは、柿の実をぜんぶ採って隠しました、そして、残った柿の葉っぱをあげました。すると今度もまあばあさんは大喜び、子どもたちと葉っぱで首飾りやお人形を作りました。ざぼんじいさんは、葉っぱをもうあげたくないので、枝をあげました。「まあ、今度は枝ね。ありがとう」と喜びます。枝を使って作ったのは、おいしい棒パンでした。まあばあさんは、受け取るものがどんなものであれ、それを生かすことを考えるのです。ざぼんじいさんは、今度も柿の枝をもらいに来るだろうと思い、慌てて柿の木を切ってしまいました。おじいさんは、自分の大事な柿の木を台なしにしてしまったことに気づき、泣いてしまったのです。しかし、お話の結末は、まあばあさんの肯定的な発想が、ケチなざぼんじいさんの窮地を包み込んでいくのです。 キリストに倣う者として、ふさわしい生き方は、いつもキリストの恵みに感謝して生きることです。使徒パウロが、「感謝の言葉を口にしなさい」 といっているのは、すべてのものを益とされる神さまが与えてくださるものには、何一つ無駄がないからです。まあばあさんの肯定感に満ちた発想はキリストの恵みに感謝して生きることにつながります。そしてざぼんじいさんの人をがっかりさせるマイナスの力に出会うことがあっても、勝ち負けではなく、共に生きていくことができるのです。本当に自分の罪をキリストの十字架から知る人は、その罪が赦されていることに感謝できます。わたしたちに必要なのは、キリストの恵みに感謝して生きることです。どんなことも、どんな時も「感謝の言葉を口にする。」感謝は信仰の告白なのですね。
《祈り》主よ、私の罪を十字架に打ちつけてくださり、ありがとうございます。これからも小さなものを大切にされる神さまの心を持ち、小さなことに感謝して、一生感謝の心で残りの人生を生きていけますように。
牧師 和田一郎
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