【神について③】(信仰の基本シリーズ1)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「神の慈しみと厳しさとを考えなさい。厳しさは倒れた者に向けられ、神の慈しみにとどまるかぎり、その慈しみはあなたに向けられるのです。」 (ローマの信徒への手紙11章22節)
神さまは良いお方、愛のある優しい方です。しかし「なんでもOKさん」ではありません。神は「聖」なる方なのです。この神の「聖」とは「切り離す・分ける」という意味があります。つまり善と悪を切り離す、善いものは善い、悪いものは悪いとしっかり区別されますから、悪に対しては厳しく怒り、裁き、切り離す方なのです。「聖」とは「愛」と同じように神の本性ですから、聖なる神は、悪に対して優柔不断ではなく、常に公正であり続ける方です。しかし「怒り」は悪や罪に対する一時的なものですから、自分の罪を認める謙遜な者に対しては寛容な方です。神は人間をいつも愛してくださるので、罪が人間におよぼす悪影響を真剣に嫌っておられるのですね。神は「罪人」ではなく「罪」を嫌う方です。 「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)。父、御子、聖霊なる唯一の神さまご自身は、三位一体という愛の交わりにある存在です。そして、三位一体なる神のゆるぎない愛の交わりの中に私たち人間を招き入れようとされ、愛してくださっています。それも、人間が神に背を向け続ける罪深い存在であるにも関わらず、愛を示してくださったのです。「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13) その愛は神さまからの一方的な恵みによるものです。私たちは、何か善い行いをするとか、良い人間でいることによって、神に認められて愛されると思いがちですが、そうではなく、愛はすべての人に公平に降り注がれる一方的なものです。ところが人間は、一方的な恵みが好きになれません。善い行いをして神の愛を獲得することが自分の力で出来るという「自己義認」が好きなのです。そのような神を不要としてしまう性質があるのです。さらに、罪人にも注がれる「愛」を不公平に感じてしまいます。人の思いでは不公平でも神の側から見れば、まったくの公平な愛なのです。 神の愛の象徴が十字架です。イエス・キリストが人間の罪の身代わりとなって下さった愛の象徴です。私たちが神を愛したからではなく、「神がまず私たちを愛してくださった」(1ヨハ 4:19)私たちは、先行する神の愛をただ受け入れることを求められています。そして、受けた愛に感謝して隣人にも差し出すのです。
《祈り》主よ、慈しみと厳しさ、愛と聖の両方によって私たちを守ってください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「神の慈しみと厳しさとを考えなさい。厳しさは倒れた者に向けられ、神の慈しみにとどまるかぎり、その慈しみはあなたに向けられるのです。」 (ローマの信徒への手紙11章22節)
神さまは良いお方、愛のある優しい方です。しかし「なんでもOKさん」ではありません。神は「聖」なる方なのです。この神の「聖」とは「切り離す・分ける」という意味があります。つまり善と悪を切り離す、善いものは善い、悪いものは悪いとしっかり区別されますから、悪に対しては厳しく怒り、裁き、切り離す方なのです。「聖」とは「愛」と同じように神の本性ですから、聖なる神は、悪に対して優柔不断ではなく、常に公正であり続ける方です。しかし「怒り」は悪や罪に対する一時的なものですから、自分の罪を認める謙遜な者に対しては寛容な方です。神は人間をいつも愛してくださるので、罪が人間におよぼす悪影響を真剣に嫌っておられるのですね。神は「罪人」ではなく「罪」を嫌う方です。 「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)。父、御子、聖霊なる唯一の神さまご自身は、三位一体という愛の交わりにある存在です。そして、三位一体なる神のゆるぎない愛の交わりの中に私たち人間を招き入れようとされ、愛してくださっています。それも、人間が神に背を向け続ける罪深い存在であるにも関わらず、愛を示してくださったのです。「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13) その愛は神さまからの一方的な恵みによるものです。私たちは、何か善い行いをするとか、良い人間でいることによって、神に認められて愛されると思いがちですが、そうではなく、愛はすべての人に公平に降り注がれる一方的なものです。ところが人間は、一方的な恵みが好きになれません。善い行いをして神の愛を獲得することが自分の力で出来るという「自己義認」が好きなのです。そのような神を不要としてしまう性質があるのです。さらに、罪人にも注がれる「愛」を不公平に感じてしまいます。人の思いでは不公平でも神の側から見れば、まったくの公平な愛なのです。 神の愛の象徴が十字架です。イエス・キリストが人間の罪の身代わりとなって下さった愛の象徴です。私たちが神を愛したからではなく、「神がまず私たちを愛してくださった」(1ヨハ 4:19)私たちは、先行する神の愛をただ受け入れることを求められています。そして、受けた愛に感謝して隣人にも差し出すのです。
《祈り》主よ、慈しみと厳しさ、愛と聖の両方によって私たちを守ってください。
牧師 和田一郎
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