「道がない所に道は開かれる」 その時モーセは考えた⑦

全12回 月曜-火曜
「モーセが海に向かって手を伸ばすと、主は夜通し強い東風で海を退かせ、乾いた地にした。水が分かれたので、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。」 (出エジプト記14章21-22節)
 「道がない」。 そう感じる瞬間が、人生にはあります。前にも進めず、引き返すこともできず、ただ不安だけが押し寄せてくる。「どうして、こんな所に来てしまったのだろう」と。 出エジプト記14章に描かれている「葦の海」の出来事は、まさにそのような場面です。イスラエルの民は、神の導きによってエジプトを脱出しました。しかし前方には海が広がり、背後からはファラオの軍隊が迫って来ます。逃げ場はありません。そのとき神はモーセに言われます。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」そして「杖を上げ、手を海の上に差し伸べて海を分けなさい」と命じられます。 すると不思議なことに海が割れて真ん中に道が開けました。海は、命じられた瞬間にすぐ割れたわけではありません。モーセが手を伸ばしたとき、主の力が働き、海が二つに分かれて道が生まれました。人の計算や知恵では不可能な場所に、神が道を造られたのです。  私たちも状況が整ったら信じよう、心が落ち着いたら祈ろう、道が見えたら従おう。そう思ってしまいます。しかし聖書が示すのは逆です。神は、道がない所でこそ道を開かれます。そして、何も見えないところでこそ、信仰の一歩を支えてくださるのです。ただし、ここで大切なのは、神が開かれる道は、単なる脱出路ではなく「救いへ向かう道」です。イスラエルが海を渡ったのは、自由を得るためだけではなく、神を礼拝する民として生きるためでした。神の道は、私たちを“より安全な場所"へ移すだけでなく、“神と共に生きる場所"へ導く道なのです。 イエスさまは言います。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6) 道とは、単なる「行き方」ではなく、イエスさまご自身が「道」なのです。つまり「わたしについて来なさい」と呼んでくださっているのです。
《祈り》主よ、「道がない」と感じる私たちの不安を、あなたはご存じです。前に進むことも、引き返すこともできないような場所で、信仰が揺らぐ私たちを、どうか憐れんでください。イエスさまが「道」であることを、日々の歩みの中で深く味わわせてください。
牧師 和田一郎
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