アンガーマネジメント

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。また、悪魔に隙を与えてはなりません。」 (エフェソの信徒への手紙4章26-27節)
 東名高速の綾瀬スマートインターチェンジができたので、入口まで得意の裏道で車を走らせていると「そこの車止まりなさい!」とパトカーに停められた。自信をもって違反はしていないと思ったが、一時不停止だったらしい。「えっあれが?」とカチンときたが罰金はその日に払った。日が暮れるまで怒ったままにならないためである。 怒りは私たちが日常で目にする感情です。喜怒哀楽の感情はいつも生活の中にありますし、怒りの感情も特別な感情ではありません。イエスさまも怒ったということがありました。神殿で両替人たちが商売をしていた時のことです。イエスさまは両替人の台や鳩を売る人たちの椅子を、ひっくりかえすぐらい大いに怒りました。ですから、怒りそのものが悪いということではないようです。「義なる怒り」つまり、ふさわしい怒りというものがあって「神様を怒らせることは、怒るべきことだ」ということです。神殿でイエスさまが怒ったことは、まさしくそのような怒りでした。商売をしていた場所は、神殿の中心より外側にあった場所ですが、そこは異邦人が礼拝する場所でした。つまりユダヤ人以外でも礼拝することを神様は望んでいましたが、異国人が礼拝する場所でユダヤ人が商売をしていたことを、イエスさまは怒ったのです。しかも、不当な利益を礼拝する場所で搾取していたのですから大いに怒るべきことだったのです。  しかし、使徒パウロが言うように、私たち人間は怒りの感情を上手にコントロールする必要があります。その理由はそうしないと悪魔に隙を与えてしまうと語っています。旧約聖書に出てくるサウル王は、召し抱えていたダビデを非常に愛していたのにもかかわらず「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」という歌を聞いて非常に怒り、ダビデを殺害することが人生の目的になりました。サウルの怒りはプライドという自己中心からくるもので、悪魔を喜ばせる結果になってしまったのです。怒りの感情が沸き起こっても、主がすべてをご存知であることを思い起こして、神さまに委ねるようにしましょう。
《祈り》神さま、私が怒りに支配される時、どうか感じさせてください、あなたのご臨在を。あなたの愛、あなたがくださる力、あなたの深く広い知恵に信頼して委ねることができますように。人の怒りは、神の義をあらわすものではないことを分からせてください。
牧師 和田一郎
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