ミケランジェロの回心

「しかし今や、律法を離れて、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が現されました。神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。」 (ローマの信徒への手紙3章21-22節)
 「人はどうすれば救われるのか?・・・善行か?それとも悔い改めか?」と魂の救いについてミケランジェロは悩んでいました。そこにある人との出会いがありました。ヴィットリア・コロンナという侯爵の未亡人でミケランジェロの信仰に影響を与えたといわれている人です。時は1530年代、宗教改革の波はイタリアにも波及していました。二人は毎週日曜日に教会で語り合い、カトリック教会の腐敗に批判の目を持ちながら、聖書そのものに真理を見いだそうとして、二人の間でたくさんの手紙を交わした記録が残っているそうです。 とくに「パウロ書簡」を丁寧に読むことで「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」の信仰に導かれていきました。それはまるでパウロの回心を思わせるような劇的なものであったようです。使徒パウロが回心した時は、イエスさまの声を聴いて視力を失い闇の中に置かれます。やがて視力の回復と共に信仰を新たにするその瞬間を「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」(使徒 9:18)と聖書は記しています。ミケランジェロは自身の回心体験を「目からウロコの喜び」として作品の中で描いています。ヴァチカンのパオリーナ礼拝堂にある『パウロの回心』がそれです。そこに描かれたパウロはミケランジェロの自画像だと言われていて、自分の回心体験をこの絵で現したのですね。  神の救いという劇的な転換は「聖書の中でこの『しかし今や(but now)』の二つの言葉以上に素晴らしい言葉はない」と言われたように、「しかし今や」パウロもミケランジェロも私たちも、信仰によって変えられたのです。神がイエス・キリストによって実現して下さった新しい救いとは、「信じる者すべてに現されたのです。」律法を守り行うという良い行ないによって、救いを得るのではなくて、イエス・キリストを信じる信仰のみによって、神から恵みとして救われる。パウロはそういう「神の義」をイエスさまとの出会いによって示されたのです。
《祈り》主イエスさま、かつて私は罪に縛られた罪の奴隷でした。罪を繰り返し続けて逃れることができませんでした。しかし、今や、主イエスの赦しの中で生かされていることを感謝いたします。
牧師 和田一郎
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