アブラハムはその死を悼んだ
「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナンの地のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムはサラのところへ行き、その死を悼んで泣いた。」 (創世記23章1-2節)
私が神学生で東京の成瀬にある教会で研修をさせて頂いていた時、ある熟年の信徒の男性が妻が召された時の証しをしてくださいました。妻に先立たれて「片方の腕をもぎ取られたようなものです」とおっしゃった言葉が忘れられません。 アブラハムの妻サラが127歳で天に召されたとき、アブラハムは深い悲しみの中で、マクペラの洞穴を買い取り、そこに妻を葬りました。それは彼が約束の地カナンで初めて手に入れた土地でした。神はアブラハムに「この地を与える」と約束されていましたが、生涯のうちに実際に所有できたのは、この墓地だけでした。それでもアブラハムは、神の約束を信じ続けたのです。彼にとってこの地上は仮の住まいであり、本当の故郷は神のもとにあると知っていたからです。 人は誰も、地上での旅を終えるときが来ます。愛する人を送り出すことは、心の痛みを伴う出来事です。けれども、信仰の目で見れば、死は終わりではありません。アブラハムのように、私たちも「旅人」としてこの地を歩む者です。天に永遠の住まいを備えてくださっている神が、やがて再び出会わせてくださる。その希望があります。 地上の歩みは限られていますが、神さまとの絆は永遠に続きます。アブラハムがサラを葬りながらも信仰の道を進んだように、私たちも愛する人を神の手にゆだねながら歩みを続けることができます。 私たちは、天の都を目指す、地上の旅人です。永遠の国を望みながら、今日も与えられた一歩を大切に歩みたいのです。
《祈り》神さま、愛する人を失った寂しさの中にある私たちを慰めてください。地上での旅路を信仰をもって歩む力をお与えください。あなたの約束に希望を見いだすことができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
私が神学生で東京の成瀬にある教会で研修をさせて頂いていた時、ある熟年の信徒の男性が妻が召された時の証しをしてくださいました。妻に先立たれて「片方の腕をもぎ取られたようなものです」とおっしゃった言葉が忘れられません。 アブラハムの妻サラが127歳で天に召されたとき、アブラハムは深い悲しみの中で、マクペラの洞穴を買い取り、そこに妻を葬りました。それは彼が約束の地カナンで初めて手に入れた土地でした。神はアブラハムに「この地を与える」と約束されていましたが、生涯のうちに実際に所有できたのは、この墓地だけでした。それでもアブラハムは、神の約束を信じ続けたのです。彼にとってこの地上は仮の住まいであり、本当の故郷は神のもとにあると知っていたからです。 人は誰も、地上での旅を終えるときが来ます。愛する人を送り出すことは、心の痛みを伴う出来事です。けれども、信仰の目で見れば、死は終わりではありません。アブラハムのように、私たちも「旅人」としてこの地を歩む者です。天に永遠の住まいを備えてくださっている神が、やがて再び出会わせてくださる。その希望があります。 地上の歩みは限られていますが、神さまとの絆は永遠に続きます。アブラハムがサラを葬りながらも信仰の道を進んだように、私たちも愛する人を神の手にゆだねながら歩みを続けることができます。 私たちは、天の都を目指す、地上の旅人です。永遠の国を望みながら、今日も与えられた一歩を大切に歩みたいのです。
《祈り》神さま、愛する人を失った寂しさの中にある私たちを慰めてください。地上での旅路を信仰をもって歩む力をお与えください。あなたの約束に希望を見いだすことができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/

