「ローマでの晩年―牢獄の中の自由」 その時パウロは考えた⑫
全12回 月曜-火曜
「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者は誰彼となく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」 (使徒言行録28章30-31節)
囚人としてローマに到着したパウロは、二年間の軟禁生活を送りました。とはいえ、彼の家は「自費で借りた家」であり、外部との接触も許されていました。訪ねてくる人を歓迎し、誰に対しても大胆に、そして妨げられることなくキリストを語ったのです。この「二年間」に書かれたのが「獄中書簡」です。 フィリピ書には教会が祝福されている喜びが満ちており、エフェソ書は教会を「神の家族」として見つめる壮大な視野があり、コロサイ書は信徒たちに「新しい人」として生きるように励ましている。どれも閉じ込められた者の声ではなく、自由を与えられた者の言葉です。彼にとって自由とは、外側の状況ではなく、キリストに結ばれていることそのものでした。 釈放後、パウロは一か所に安住することなく各地を巡り、ある記録によるとスペイン伝道に従事したと記されています。どこにあっても、彼の働きは教会を建て、若い働き人を励まし、福音の灯火を絶やさぬものでした。やがてローマ帝国の迫害が始まり、パウロは再び捕えられ、最晩年の手紙で語ります。「私自身は、すでにいけにえとして献げられており、世を去るべき時が来ています。私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテⅡ4:6-7)と。 死を覚悟した晩年、パウロは何を思ったのでしょうか。それは、自分の人生がどこで終わろうと、神の国の物語は続いていく。裁判の行方も、残された時間も、後継者たちの行く末も、すべては神の計画の中にあると。パウロの処刑は、紀元65年から68年頃であったと考えられています。 その時パウロは考えた:「私はもう十分だ。あとは主がなさる。」
《祈り》神さま、パウロは軟禁中も、あなたに繋がり続けて、その生涯をもって証ししました。パウロが「私は走るべき道のりを走り終えた」と語ったように、私たちも最後の日まで、あなたに従う歩みを支えてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者は誰彼となく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」 (使徒言行録28章30-31節)
囚人としてローマに到着したパウロは、二年間の軟禁生活を送りました。とはいえ、彼の家は「自費で借りた家」であり、外部との接触も許されていました。訪ねてくる人を歓迎し、誰に対しても大胆に、そして妨げられることなくキリストを語ったのです。この「二年間」に書かれたのが「獄中書簡」です。 フィリピ書には教会が祝福されている喜びが満ちており、エフェソ書は教会を「神の家族」として見つめる壮大な視野があり、コロサイ書は信徒たちに「新しい人」として生きるように励ましている。どれも閉じ込められた者の声ではなく、自由を与えられた者の言葉です。彼にとって自由とは、外側の状況ではなく、キリストに結ばれていることそのものでした。 釈放後、パウロは一か所に安住することなく各地を巡り、ある記録によるとスペイン伝道に従事したと記されています。どこにあっても、彼の働きは教会を建て、若い働き人を励まし、福音の灯火を絶やさぬものでした。やがてローマ帝国の迫害が始まり、パウロは再び捕えられ、最晩年の手紙で語ります。「私自身は、すでにいけにえとして献げられており、世を去るべき時が来ています。私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(テモテⅡ4:6-7)と。 死を覚悟した晩年、パウロは何を思ったのでしょうか。それは、自分の人生がどこで終わろうと、神の国の物語は続いていく。裁判の行方も、残された時間も、後継者たちの行く末も、すべては神の計画の中にあると。パウロの処刑は、紀元65年から68年頃であったと考えられています。 その時パウロは考えた:「私はもう十分だ。あとは主がなさる。」
《祈り》神さま、パウロは軟禁中も、あなたに繋がり続けて、その生涯をもって証ししました。パウロが「私は走るべき道のりを走り終えた」と語ったように、私たちも最後の日まで、あなたに従う歩みを支えてください。
牧師 和田一郎
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