失敗は経験です
「正しい人は七たび倒れても、また起き上がる。」 (箴言24章16節)
ある人がベンチャー企業の社長に「あなたの成功の秘訣はなんですか?」と尋ねた。 「それは正しい判断だよ」 「どうやって正しい判断を下すんですか?」 すると社長は「経験で身に着けるのです」 「では、どうやって経験を積むんですか?」 社長は答えた「それは間違った判断です」 「正しい判断」と「間違った判断」。このやり取りは、成功の裏側に「失敗」があることを率直に語っています。私たちは正しい判断を望みます。しかし、その判断力は、間違いの中で磨かれているのです。 聖書は言います。「正しい人は七たび倒れても、また起き上がる。」ここでいう正しい人とは、転ばない人ではありません。七度倒れても立ち上がる人です。 野球で考えてみましょう。七回凡退しても、三回安打を打てば打率三割です。三割バッターは一流選手と呼ばれます。つまり、十回のうち七回は失敗しているのです。しかし三割を打つためには、七回の凡退の内容が重要です。同じミスを繰り返していないか?打てなかった原因を考えて修正しているか?七回の失敗をただの失敗で終わらせるのではなく、分析し、学び、次に生かす。その七回の内容が、残りの三回の安打を生み出すのです。 信仰も同じです。私たちは失敗します。祈りが続かないこともあります。言うべきでない言葉を口にすることもあります。しかし、その失敗を神の前に持ち出し、悔い改め、修正するならば、その経験は必ず次に生きてきます。七たび倒れること自体は問題ではありません。いつも同じ倒れ方を繰り返したり、失敗を恐れて混乱することが問題なのです。神は私たちの失敗を責めるためではなく、育てるために用いられます。 凡打を重ねても打席に立ち続けるように、私たちが主の前に立ち続けるように、主ご自身が招いてくださっています。その歩みの中で、神は私たちを本当の意味で「正しい人」へと育ててくださるのです。
《祈り》私たちは何度もつまずき、失敗を重ねてしまいます。七たび倒れる弱さを持つ者です。しかしあなたは、そのたびに立ち上がる道を備えてくださるお方です。七度の凡退の中にも、あなたの導きがあることを覚えさせてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
ある人がベンチャー企業の社長に「あなたの成功の秘訣はなんですか?」と尋ねた。 「それは正しい判断だよ」 「どうやって正しい判断を下すんですか?」 すると社長は「経験で身に着けるのです」 「では、どうやって経験を積むんですか?」 社長は答えた「それは間違った判断です」 「正しい判断」と「間違った判断」。このやり取りは、成功の裏側に「失敗」があることを率直に語っています。私たちは正しい判断を望みます。しかし、その判断力は、間違いの中で磨かれているのです。 聖書は言います。「正しい人は七たび倒れても、また起き上がる。」ここでいう正しい人とは、転ばない人ではありません。七度倒れても立ち上がる人です。 野球で考えてみましょう。七回凡退しても、三回安打を打てば打率三割です。三割バッターは一流選手と呼ばれます。つまり、十回のうち七回は失敗しているのです。しかし三割を打つためには、七回の凡退の内容が重要です。同じミスを繰り返していないか?打てなかった原因を考えて修正しているか?七回の失敗をただの失敗で終わらせるのではなく、分析し、学び、次に生かす。その七回の内容が、残りの三回の安打を生み出すのです。 信仰も同じです。私たちは失敗します。祈りが続かないこともあります。言うべきでない言葉を口にすることもあります。しかし、その失敗を神の前に持ち出し、悔い改め、修正するならば、その経験は必ず次に生きてきます。七たび倒れること自体は問題ではありません。いつも同じ倒れ方を繰り返したり、失敗を恐れて混乱することが問題なのです。神は私たちの失敗を責めるためではなく、育てるために用いられます。 凡打を重ねても打席に立ち続けるように、私たちが主の前に立ち続けるように、主ご自身が招いてくださっています。その歩みの中で、神は私たちを本当の意味で「正しい人」へと育ててくださるのです。
《祈り》私たちは何度もつまずき、失敗を重ねてしまいます。七たび倒れる弱さを持つ者です。しかしあなたは、そのたびに立ち上がる道を備えてくださるお方です。七度の凡退の中にも、あなたの導きがあることを覚えさせてください。
牧師 和田一郎
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