悪の連鎖を切る

「誰にも悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うよう心がけなさい。」 (ローマの信徒への手紙12章17節)
 古典落語に「碁盤斬り」という話があります。浪人で生真面目な柳田格之進は妻に先立たれ娘のお絹と貧しい生活をしいた。ある日、いつものように両替商の主人と碁を打っていると、店の番頭が集金五十両を抱えて帰ってきます。碁が終わり、格之進が帰ると五十両がなくなっていた。番頭は、「あの時、いたのは柳田しかいない」と決めつけ、主人が止めるのも聞かず、格之進の長屋へ向かいました。 「とぼけても無駄です。しらを切るなら奉行所に訴えます。」柳田格之進は、「盗人と疑われるとは心外だ。しかし、その場に居合わせたのも不運であった。明日までに五十両を用意しよう。」そう答えた格之進ですが、金の当てはありません。「こうなれば、切腹するしかない・・・」その言葉を聞いた娘の絹は「父上のためなら、私が身を売ります。」絹は金を工面し、父の命を救いました。 翌日、格之進が五十両を差し出すと番頭は満足げに言い放ちました。「もし金が出てきたら、私と主人の首を差し上げます。」ところが年の瀬の大掃除をしている時、あの五十両が出てきたのです。番頭は青ざめて詫びました。「どうか、お許しください」実直な格之進は静かに言います。「明日、伺おう。首をよく洗っておくがよい。」翌日、主人は頭を下げました。「責任は主人の私だ。どうか私だけを」、番頭は「いいえ、私です。どうぞ私を斬ってください。」二人は互いをかばい合いました。格之進は刀を振り上げます。そして一閃。真っ二つになったのは碁盤でした。 「これでよい。」格之進は二人を赦しました。しかし、娘のお絹は、身売りした後、ある男に身請けされ、心に傷を負っていた。お絹の親孝行を知った両替商の主人は彼女を迎え入れると、悔い改めた番頭が必死に看病し、やがて二人は夫婦になったという話。柳田格之進が斬ったのは、碁盤だけではなく「悪の連鎖」でした。 人の幸せとは、誰かの「赦し」によって結ばれ、新しい絆へと変えられていくのです。
《祈り》主よ、私たちは傷つけられたら、怒りにとらわれ相手を傷つけようと応じてしまいます。それは憎しみの連鎖の始まりです。自分を守ろうとする弱さが、世の中の悲劇を生むのです。どうか小さな「赦し」から絆と愛が芽生えることを覚えさせてください。
牧師 和田一郎
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