足あと
「主は言われた 彼らは確かに私の民、偽りのない子らであると。そして主は彼らの救い主となられた。彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。御前に仕える御使いによって彼らを救い その愛と憐れみによって彼らを贖い 昔からずっと彼らを負い、担ってくださった。」 (イザヤ書63章8-9節)
かつて、アメリカ・シアトルに研修に行ったとき、ホームステイ先のご夫妻が、ある詩を紹介してくださいました。奥様が詩の作者と会ったときの話もしてくださいました。私はその詩のワーシップソングも知っていましたが、作者不明の詩だと思っていました。しかし実はカナダのマーガレット・パワーズさんという女性が若いときに書いた詩で、この詩が独り歩きして作者不明とされて広まったことを嘆いていたそうです。
「足あと」 ある夜、私は夢を見た。私は主とともに、渚を歩いていた。 砂には二人の足あとが残されていた。一つは私の足あと、もう一つは主の足あとだった。人生の最期の光景が映し出されたとき、私は砂の上の足あとに目を留めた。 そこには一つの足あとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。 私はそのことに悩み、主にお尋ねした。「あなたはすべての道において、私とともに歩み、語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生のいちばんつらいとき、ひとり分の足あとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、なぜ、私を捨てられたのですか。」 主はささやかれた。「私の大切な子よ。あなたを決して捨てたりはしない。足あとがひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていたのだ。」
この詩を書いたマーガレットさんによると、詩のモチーフはイザヤ書63章だそうです。預言者イザヤは、自分の子にインマヌエルという名前を付けました。その意味は「神が我らとともにある」です。ユダヤの国が混乱していた時代に、神が私たちを背負ってくださるという希望を込めて名付けたのです。
《祈り》インマヌエルの神さま。あなたが私たちとともにおられるという約束を、日々の生活の中で味わいながら生きる者としてください。私たちもまた、苦しむ人に寄り添い、あなたの愛を分かち合う者とされますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
かつて、アメリカ・シアトルに研修に行ったとき、ホームステイ先のご夫妻が、ある詩を紹介してくださいました。奥様が詩の作者と会ったときの話もしてくださいました。私はその詩のワーシップソングも知っていましたが、作者不明の詩だと思っていました。しかし実はカナダのマーガレット・パワーズさんという女性が若いときに書いた詩で、この詩が独り歩きして作者不明とされて広まったことを嘆いていたそうです。
「足あと」 ある夜、私は夢を見た。私は主とともに、渚を歩いていた。 砂には二人の足あとが残されていた。一つは私の足あと、もう一つは主の足あとだった。人生の最期の光景が映し出されたとき、私は砂の上の足あとに目を留めた。 そこには一つの足あとしかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。 私はそのことに悩み、主にお尋ねした。「あなたはすべての道において、私とともに歩み、語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生のいちばんつらいとき、ひとり分の足あとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、なぜ、私を捨てられたのですか。」 主はささやかれた。「私の大切な子よ。あなたを決して捨てたりはしない。足あとがひとつだったとき、私はあなたを背負って歩いていたのだ。」
この詩を書いたマーガレットさんによると、詩のモチーフはイザヤ書63章だそうです。預言者イザヤは、自分の子にインマヌエルという名前を付けました。その意味は「神が我らとともにある」です。ユダヤの国が混乱していた時代に、神が私たちを背負ってくださるという希望を込めて名付けたのです。
《祈り》インマヌエルの神さま。あなたが私たちとともにおられるという約束を、日々の生活の中で味わいながら生きる者としてください。私たちもまた、苦しむ人に寄り添い、あなたの愛を分かち合う者とされますように。
牧師 和田一郎
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