注ぎ出す祈り
「ハンナは答えた。『・・ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。』」(サムエル記上1:15)
ハンナは自分のことを「不幸な女」と言いました。確かに?彼女を取り巻く環境から推し量ると、他の人と比べ、そう感じても仕方がなかったのかもしれない。
子どもがいない。無理解な夫、しかもその夫は、自分はいいことをしていると勘違いしている夫。霊的に鈍感な祭司エリ。ペニナからのいじめ等々。
そうした問題の中に囲まれ八方塞の状態です。時に私たちも、こうした経験をいたします。もしかしたら、今、あなたが置かれている現実も、これに近いかもしれません。
そうした私たちに対し、今日の聖書の個所は大切な1つのことを教えています。
それは、たとえ私たちが多くの問題に囲まれ、八方の窓が閉じられていたとしても、実はそこに主が共におられ、天の窓だけは開いており、この出来事を支配する主なる神さまがおられる、という事実です。
ハンナは本当に大変な中に置かれていました。でもハンナの姿を通して教えられることは、そうした中で、いや、そうした中に囲まれていたからこそ、まず、主の御前に跪き、主に祈りをささげました。
全ての窓が閉ざされているような八方塞の中で、唯一開いている天の窓、神さまとの交わりに望みをかけていきました。
彼女は、主の御前に出て?心からの願いを注ぎ出していったのです。それは、訴えたいこと?苦しいことが多くあったからです。問題で囲まれていたからです。
そしてハンナが思いを注ぎ出した相手は、夫エルカナでも、残念ながら祭司エリでもありませんでした。「主の前に」注ぎ出したのです。主に思いの丈をぶつけたのです。何故でしょう?
神は、私の全部、私という人間全体を問題としておられるからです。
あなたの祈りを待っておられるお方こそ、主なる神さまなのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘