アナニアの存在
「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(使徒言行録9:15)
ウイリアム・バークレーは、「キリスト教会で忘れられたヒーローの一人がアナニアである」と言っています。アナニアは、獰猛な狼のようなサウロが、エルサレムの祭司長から権限を受けて、教会を荒らしにやってきたことを知っていました。
ですから幻による主からの語りかけを聞いても、すぐに従うことはできませんでした。彼はサウロを恐れていたからです。迫害者サウロを教会の交わりの中に招き入れることは自殺行為になりかねません。
ところが、恐れを抱くアナニアに対して主は、「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」と語られたのです。
興味深いことに、ここには「わたし」という言葉が繰り返し出て来ます。「わたしの名を伝えるため」「わたしが選んだ器」「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないか」「わたしは彼に示そう」。つまり「この件に関し、わたしイエスがすべて責任を取る」と言うことです。
これを受けて、アナニアは出掛けて行ったのです。イエスさまに全ての心配と思い煩いを委ねて、信仰をもって一歩踏み出しています。
もう1つ教えられることは、アナニアが迫害者サウロに掛けた最初の言葉、「兄弟サウロ」という言葉です。アナニアの方からサウロを兄弟として受け入れ、仲間に加わることができるように、和解の手を差し伸べています。
サウロにとっては、この「兄弟」という言葉こそ、回心した後、クリスチャンの口から最初に聞かされた言葉でした。
迫害者が「兄弟サウロ」と呼ばれ、受け入れられたのです。教会の仲間に、神さまの家族の一員として受け入れられたのです。あの放蕩息子が父親から、雇い人の一人としてではなく、息子として受け入れられたように、サウロも兄弟として、神の子として受け入れられたことを知ったのです。
このことにより、サウロの視力は回復し、そして聖霊に満たされていきます。そして、そのしるしとして洗礼を受けていくことになりました。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘