人生を総決算する言葉
「あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない」
(列王上2:4)。
列王記は「ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せられても暖まらなかった」という言葉で始まります。
晩年、王位継承の争いの発端が「決断力に現れたダビデの衰え」が原因し、その結果、宮廷内に内紛が起こったことを列王記の著者は伝えています。
ダビデの生涯を振り返る時、時に彼は傲慢になり人口調査の罪を犯し、多くの国民を犠牲にしたことがありました。バテシェバとの姦淫の罪を犯し、霊的に堕落した経験もしました。
たくさんの失敗もしでかしました。そして、ダビデは夫であり親であり国のリーダーでしたから、当然、そうした罪のとばっちりを家族も国民も経験したことです。それは、私たちの現実でもあります。
でも、そうした中でもダビデの模範とすべき良い点があります。それは、何かあるごとに主の御前に戻り、主の取り扱いを受けつつ生涯を全うしたということです。
最後の最後に私たちは主の御前に立たされます。何かあっても、必ずそこに戻ってくるのです。
ダビデは、そのお方と気まずい関係で天国の門口に立つのではなく、最後には顔を合わせるわけですから、そのお方とのわだかまりのない関係の中で歩むことを、今からも努めていたのです。
列王記を見ますと、ダビデは「主の御前に立つ私」という信仰を貫こうとしました。
そして、息子ソロモンに「あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない」と語ることができたのです。
私たちの人生の締めくくりに、このダビデのように、自らの人生を総決算できる言葉を持つ人は何と幸いかと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘