イエスさまの荷物を共に担う
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:30)
ご存じのように軛(くびき)とは荷物を引っ張る家畜の首にかける道具ですね。
2つの穴のうち片方はイエスさまの首にかかっていて、もう片方の穴にあなたの首をいれてごらんなさい、とイエスさまが招いておられるのです。
そうすると、イエスさまの軛は負いやすく、イエスさまの荷は軽い、というのです。
私たちの日常は、神さまによって与えられている使命や召命に満ちています。例えば、私が高座教会の牧師として奉仕させていただいているのも、神さまの召しによります。
AさんがBさんの妻であることも、神さまの御許しがなければ起こらなかったことです。ですから、これも召命です。
つまり、あなたの仕事も、あなたが困難を感じている方との人間関係も、実はイエスさまの働き、イエスさまが託してくださっている召しであり、イエスさまが与えてくださっている荷物なのです。
イエスさまが、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われる背景に、あなたが重いと感じている責任が元々はイエスさまのもので、それをイエスさまが共に担ってくださる、このことが信仰生活なのですよ、と教えてくださっているのです。
時に、私の辛さを誰も分かってくれない、と思うことがあります。でも、誰かが知っていてくれたら、力が出ることだってありますよね。
そうです! イエスさまはあなたことを知っていてくださる。いや、それだけではなく、あなたが重たく感じている責任は、実は元々「わたしの荷」とあるように、イエスさまご自身の荷物で、それをあなたが共に担わせていただいていることなのです。
実は、あなたがその荷を負うことにより、イエスさまにお仕えさせていただいているのです。
これを知って、少し軽くなりました? あなたの荷物も主の荷物なのですから。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘