祝福にあずかる条件

「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。」
(申命記28:1−3)

 今日の聖句でモーセは、祝福にあずかる秘訣を語り聞かせています。
 勿論そのなかで、ヨブ記などでは、善い人にも災いが降りかかる現実について語り、パウロも信仰生活を歩む者にとって苦しみはつきものであり、むしろ苦しみの中にあってもキリストの福音にふさわしい生活をするようにと励ましています。
 ただ、そうした中においても、神さまは私たちを恵みをもって祝福されるお方なのですね。

 ところで、今日の聖句は、私たちに約束された2種類の祝福を説いています。1つは、主なる神さまが共におられるという祝福。もう1つは、生活のあらゆる領域における具体的な恵みという祝福です。
 そして同時に、そのような祝福にあずかるための私たち側の責任をも神さまは示しておられるのです。それは、「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば」というものです。

 今日、どこかで、今までの信仰生活を振り返り、神さまが共におられることを確信させた決定的な出来事はどのようなものであったかを思い出してみましょう。
そうした祝福を経験した時の、あなた自身の信仰生活の状態、とくに聖書の御言葉に対する姿勢について、何か思い出すことはないでしょうか?

 「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:8)

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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