神の愛を届ける者として生きる

「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することの少ない。」(ルカ7:47)

 私たちクリスチャンが、常に心に留めるべきことは、神の愛が無条件の愛であるという事実です。
ある日、罪の女がファリサイ派シモンの家にいた主イエスの元にやって来て、涙で濡らした主の足を髪の毛でぬぐい、高価な香油を塗りました。
一部始終を見たうえで心の内で周囲を裁いていたシモンに対し主は、譬えをお語りになり、そしておっしゃいました。
「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することの少ない。」
神の愛に触れる、いや、愛の神に触れていただくとき、触れられた私たちの心に変化が起きます。愛する心を持つ者へと変えられていくのです。
私たちが生きるために生まれてきたのに対して、主イエスは死ぬために生まれてくださいました。私たちの負い目を追求するのでなく、私たちの罪を赦すために十字架にかかられたのです。
そういう主イエスの慈しみ深い御心に気づき、そのあたたかな、神の愛の心に触れるとき、赦された者、負債を免除にされた者、つまり神に愛されている者として生かされている感謝と喜びに心が満たされるのです。
辛くなる時、もう一度、神さまの愛のシャワーを浴びましょう。
「あなたは私の愛する子。あなたは私の喜び。あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」。この御声が聞こえる場所に逃げて行きましょう。
そこに身を置きましょう。そのように愛の主に触れる、いや触れていただくとき、私たちの心は愛に満たされ、再び立ち上がり、今度、私たちが、その愛を届ける者として生かされるのです。
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘

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