オンライン礼拝で思うこと

「あなたがたは・・神の家族です・・」(エフェソ2:19)

 友人の牧師がオンラインでの礼拝や集会について印象を語っていました。
・普段、教会にも来ない夫が一緒に説教を聴いてくれたという喜び声が届いた。
・オンラインで、結構、聖書の学びがリードできる手ごたえを感じている。
こうした幾つかの良い面がある一方で、
・今は新鮮かもしれないが、しばらくすると飽きてくるのではないか心配。
・20代、30代の独り暮らしの若者がオンライン礼拝だけだと孤立感が増し、
信仰がダウンするのではないか。また実際そうなっている感じがする。

あなたはどんな感想をお持ちですか?
オンライン礼拝はある種の「煩わしさ」から私を解放します。「都合のいい時間・好きな所・快適な姿勢で」とあくまでも「私の都合」に合わせられる「良さ」があります。
ただ上手く表現できないのですが、何か物足りなさも感じます。
普段の日曜日を思い浮かべてみてください。礼拝堂に入り挨拶を交わし、お決まりの椅子に腰かけ、「あの人、あの友」と、互いの姿を確認しながら礼拝が始まるのを待ちます。
「頌栄」の頃、急いでやって来る仲間がいます。賛美の時、みなスゥ―と背筋を伸ばすように立ち上がり共に歌います。説教に集中し始めると隣りから「騒音」が聞こえてきます。
コロンの香りなども気になりだす。疲れが溜まっているのでしょう。舟を漕ぐ友の姿も目に飛び込んできました。
大好きな「派遣の言葉」、続く「祝福」を宣言する声に力が入っていることが伝わって来ます。主の臨在溢れる礼拝です。
〈ああ、いつになったら共に集うことができるだろう〉と溜息が出て来ました。
でも思ったのです。こうして溜息が出るのは愛する神の家族がいてくれるから、みんな一緒に神さまを賛美したいと心から願っていることの証拠なのだと。

今日、その友と連絡を取り合ってはいかがでしょうか。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘

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