恵みに驚く才能

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ 6:26)

 「ゲド戦記」の翻訳者、清水眞砂子がこんな文章を書いていました。
「驚く才能を眠らせてしまったら、平穏無事な毎日はたしかに退屈だ。退屈さに耐えられなくなったとき、私たちは退屈をまぎらせてくれるイベントを求める。
・・だが、イベントが終われば、また退屈な日常が待っている。退屈はまぎれただけで、解消されたわけではなかったのだ。私たちに必要なのは、むしろ退屈を積極的に生きようとする意志かもしれない。」

 現在、私たちが経験している退屈さは「平穏無事な毎日」からくる「退屈さ」とはちがいます。むしろそれが懐かしいほどです。退屈さを紛らわすイベントなど求められる状況にありません。
ただこの状況でも著者が言う「退屈を積極的に生きようとする意志」は持ち続けたいものです。
 今朝コロの散歩で教会の周りを歩いていた時、オリーブの木に2羽のメジロが飛び移って来たのが見えました。
艶のある美しい羽、目を縁取る真っ白できれいな輪、実に機敏な動き…。〈メジロだ〉と、立ち止まり、しばらく見入ってしまいました。驚きと共に、窮屈にしていた心に新鮮な風が吹き込んできたような爽やかな気持ちにさせられたことです。
 「空の鳥をよく見なさい」とおっしゃった後イエスさまは、神さまから見て私たちが、どれだけ大切な存在であるかを説かれたのです。
鳥が素晴らしく不思議に造られている以上に、私たちはもっと素晴らしく不思議な存在に造られているかを思い起こさせてくださるのです。
 そして最後におっしゃいます。「あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」と。今日、イエスさまが思い起こさせてくださった、この視点を大切にしたいですね。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘

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