神観が人の生き方を決める
「すると、雲の中から、『これは私の子、私の選んだ者。これに聞け』と言う声がした。」(ルカ9:35)
私たちが神さまをどのようなお方として受け止めているかによって、私たちの生き方が決まってくると言われます。 神さまが大変厳しいお方であるとするならば、私たちはある面、ビクビクしながら生活しなければならないと思います。 何故なら、私は完全ではありませんし、その不完全さが神さまの感情を害したら大変ですから…。どちらかと言えば、こうしたものが、神道の神観です。ですから、「おはらい」をしたり、「地鎮祭」をするわけです。 また、神さまが優しいだけのお方だとしたら、どこかで神さまを侮り、何をやっても許してくれるから平気だと思い、いつしか好き勝手なことをしてしまうのです。 でも聖書の神さまは義であると共に愛なる方でもあります。そしてそうした聖書の神さまを信じているならば、当然、そのお方との関わり方、神さまとの関係が問題になってきます。つまり、よくお話します「人生における縦軸」によって、横軸における生き方が決まってくるのです。もっと分かりやすい言い方をするならば、「優先順位」が変わってきます。 ところで、あなたにとって神さまはどのようなお方ですか?あなたがクリスチャンであること、洗礼を受けたことは、あなたにとって、どんな意味があるでしょうか? 〈そんなこと、考えたこともなかった…〉と感じますか? もしそうなら、今日の聖句に耳を傾けましょう。神さまは言われます。
「これは私の子、私の選んだ者。これに聞け」と。神さまの導きの中で、「主よ、あなたはどのような神さまですか?あなたにとって、この私はどのような者ですか?どうぞ、主よ、お教えください。また、それを信じる信仰をお与えください」と祈るところから始めてみたらいかがでしょうか。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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