ピスガの頂に立つ経験

「モーセは、モアブの平野からネボ山にあるピスガの頂に登った。それはエリコの向かいにあり、主は彼にすべての地を示された。」(申命記34:1)
 聖書は、モーセが、本当に恵まれた最期を迎えたことを伝えています。 その時、神さまはモーセをピスガの頂に導かれ、今まで歩んできた人生をもう一度、神さまの視点に立って総括する時間を与えられたのです。 この時のモーセは、約束の地に足を踏み入れることはできませんでした。しかし、モーセは、その地を見渡すことのできるピスガの頂に立ち、「あなたがたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である」という御声を聴きながら数百年たった今、御心が実現しようとしているという現実、まさに神が、歴史を通して働かれるお方であることをしみじみと感じていたのではないでしょうか。 人間的な見方からすれば〈苦労してきたのに、お気の毒に〉で終わったことでしょう。でもこの時モーセは雑然としか見えない出来事の中に神の整然とした秩序と御心を見る機会をいただけたのです。ピスガの頂に立つ経験とはそうした恵みを意味します。 日々の生活で、〈何でこんなことが起こるの?〉とがっかりさせられるような出来事を経験することがあるでしょう。そんな時、私は絨毯をイメージします。絨毯の裏側は色々な糸がバラバラに編まれていて、まさに「カオス」のような状態です。しかし絨毯の表側を見ると、無秩序の見えたそれぞれの糸が見事に織り成され、そこに素晴らしい絵柄が描かれているのです。  主の御前に静まり、御言葉に導かれながら、神の視点で物事を見ることができるようにと祈りましょう。〈あの出来事は実はこういう風につながっていたのか〉という私の理解をはるかに超える神の愛の御心の深さに驚かされる経験をさせていただきましょう。 これこそ、ピスガの頂に立つ経験なのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1

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