レタスに置きかえて考えてみる

「偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目からおが屑を取り除くことができる。」(マタイ7:5)
 ある方が、人間をレタスに置き換えて考えてみなさい、と語っていました。 例えば、レタス栽培をして、一生懸命に肥料をやって、雑草を抜き、水をやって育てるのですが、なかなかうまく育たなかった。収穫はしたが、あまり出来の良いレタスではなかった時に、あなたはどうするか? 考えてみなさいというのです。 そのレタスに向かって「何でうまく育たなかったのか!」と言って責めるでしょうか? あるいは「何てお前は出来そこないなんだ!」と言って裁くでしょうか? そんなことしないですね。むしろ、そのレタスを理解しようとします。「なぜ、こうなったのだろうか」と理解しようとしますね。「私に出来ることは何だろうか?」と、レタスを問題にする代わりに、その為に私自身が出来ることを見つけようとします。 つまり、課題のある人を迎えた時に、それを指摘するのではなく、理解する。ちょうどレタスを見る時のように、相手を責めても仕方がないので、むしろ、その人が育った背景、受けてきた教育、家庭環境などを理解しようとする。 すると不思議なことに今まで難しいと思ったその人に対しての見方が変わる。その人に対して優しくすることが出来るのです。 私たちは、相手を変えたり、自分の過去を変えることは出来ません。まず自分の「丸太」に気づき、それを取り除くことを始めていく。すると、日常の人間関係のパターンに変化が起こる。すると不思議と相手の出方も変わってくるのです。 そして何よりも大切なことは、神さまがあなたをどのように見ていてくださるのか。それと同じように、神さまが、あなたの隣人をどのように思っていてくださるのかを知る、ということなのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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