独りきりになれる場所を求めて

「朝になると、イエスは寂しい所へ出て行かれた。」(ルカ4:42)
 最近、ヘンリ・ナウエン著、『静まりから生まれるもの』を繰り返し味わっています。
「結果を重んずる現代の社会においては、誰かの役に立ちたいという願いは、その人の精神的な、また、霊的な健全さのしるしと見られるかもしれませんが、それはまた、自分の価値に対する自信を失わせて身動きできなくなる原因になり得ます。何か意味あることをしたいとするが願望は、それだけに終わらず、自分がしたいことの結果を、自分の価値を測る物差しにしてしまうことが多いのです。そうすると何かを成し遂げたというだけでなく、自分の成し遂げたことを自分だと思うようになってしまいます。…自分のしたことの結果にあまりに左右され始めると、わたしたちは知らず知らずのうちに、次のような誤った思いこみに陥ってしまいます。すなわち、人生とは、わたしたちの価値を決めるポイントを誰かが書き込んでいる大きなスコアボードである、と。そして、そこに気づいたときはすでに、採点する多くの人たちに自分の魂を売り渡してしまっているのです。……自分が何者であるかをこの世の判断に任せてしまうと、絶えず不安につきまとわれることになります。それは、人から高い評価や評判を得たいという必要がいよいよ募るようになるからです。そして、つねに自分を拒否す 襪海箸如気持ちを沈ませる力に引き込まれやすくなります。…」
主イエスは忙しい日々の生活において独りになれる場所を大切にされました。これはクリスチャンにとって模範にすべき大切な習慣です。何故なら、神と交わるそのところにおいてこそ、私たちが神に愛されている神の娘、息子であるのは、神に愛されるにふさわしいことを証明したからではなく、神の方から自発的に私たちを選んでくださっていることを知るからなのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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