涙のみなもと
「わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう」 (新共同訳)(エレミヤ書8章23節)
私の涙はどこから湧き出てくるのでしょうか。 預言者エレミヤは、罪を繰り返してばかりいる南ユダの人々のことを嘆いていました。しかし、それを他人ごととはせずに、同じ南ユダの国民である自分自身のこととして共に苦しみました。黙って涙するエレミヤの姿。それは神の側に立つ預言者としての在り方なのです。涙してたたずむ姿においても、エレミヤは神の御心を表している。預言者とは神の担い手であるからです。また、同時に一人の人として民の中で生きていました。その姿は神の子でありながら、一人の弱い人間として涙を流されたイエス・キリストの姿と重なります。イエスさまは私たちと同じように痛みや悲しみを、その身に受けてくださいました。そして、共に悲しみ涙してくださる方です。それは今も変わることがありません。私たちのこの涙の源泉は、主の瞳にあるのです。
《祈り》主よ、私は周りから取り残されています。見下されています。いても居なくてもいいような扱いを受けました。しかし、瞳から雫が溢れそうな時、私のそばにあなたがおられることを知りました。「昼も夜もわたしは泣こう」と言って。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1
私の涙はどこから湧き出てくるのでしょうか。 預言者エレミヤは、罪を繰り返してばかりいる南ユダの人々のことを嘆いていました。しかし、それを他人ごととはせずに、同じ南ユダの国民である自分自身のこととして共に苦しみました。黙って涙するエレミヤの姿。それは神の側に立つ預言者としての在り方なのです。涙してたたずむ姿においても、エレミヤは神の御心を表している。預言者とは神の担い手であるからです。また、同時に一人の人として民の中で生きていました。その姿は神の子でありながら、一人の弱い人間として涙を流されたイエス・キリストの姿と重なります。イエスさまは私たちと同じように痛みや悲しみを、その身に受けてくださいました。そして、共に悲しみ涙してくださる方です。それは今も変わることがありません。私たちのこの涙の源泉は、主の瞳にあるのです。
《祈り》主よ、私は周りから取り残されています。見下されています。いても居なくてもいいような扱いを受けました。しかし、瞳から雫が溢れそうな時、私のそばにあなたがおられることを知りました。「昼も夜もわたしは泣こう」と言って。
牧師 和田一郎
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