自力はダメでも他力がある

「心を尽くして主に信頼し 自分の分別には頼るな。どのような道を歩むときにも主を知れ。主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」 (箴言3章5-6節)
 「人のいきつくところは、やはり他力という感覚かもしれませんね」とある僧侶は言った。 東日本大震災が起こった際、津波で多くの命が失われ現地の体育館が遺体安置所になり、1000体もの遺体が運び込まれた。地元の僧侶は、お経をあげて身元確認をして回ったそうです。本人も疲労が重なり心臓が止まる経験をされたそうです。人の「死」が日常となった中で支援者も茫然自失となっていた。その中で自分を見失わずにいられたのは、「祈り」の習慣をもっていた人だそうです。  キリスト教会では、祈りは神さまとの会話だと教えています。心を尽くして話せば、心を尽くして聞いてくれる方がいると信じているのです。神さまは会話をするだけではなく、私たちの人生に関わり、必要な力を与えてくださる方だと。ですから、自分の力に行き詰まった時に、神という大きな存在に頼れることが、自分を見失わない支えとなるのです。 目に見えない自分以外の大きな知恵が、私たちを超えて思いもよらない幸いを与えてくださる。そのように謙虚に受けとめることが生きる力となるのです。
《祈り》愛するイエスよ、私は山を見上げて祈ります。私の助けはどこから来るのでしょうか。私の助けは主のもとから、私の思いを超えて、あなたのもとから恵みが来ますように。
牧師 和田一郎
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