暗みに入れば見えてくる
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。」 (ヨハネによる福音書9章1節)
休みの日に家族で座間にある芹沢公園を歩いていました。すると幼い息子が「あれ何だろう?」と防空壕を見つけて走りよりました。中は真っ暗で冷たい空気を感じました。勇気を出して暗闇に一歩入って覗いてみると、戦争中に防空壕で作られていた戦闘機の模型が展示してあるのが見えました。外の明るい所にいると、中の暗い様子は見えにくいのですが、一歩暗い所に入ると、目が暗闇になれて闇の中にあるものが見えてきたのです。心の目も同じですね。楽しくて心が明るい時には、世の中の暗い部分に目が届きにくいものです。 イエスさまは、世の中にある暗闇にいつも目を向けてくださいました。心に闇を抱えている人たちを見つめてくださいました。ある日、イエスさまは神殿の境内でユダヤ人たちと論争し、敵意を向けられ、石を投げつけられそうになって逃れてきました。そのような危険な状況であったのに、通りすがりに目の見えない人を見かけられたのです。彼の心の中の暗がりを察して、立ち止まって彼を見つめました。盲人の心の闇にはっきりと意識を向けられたのです。 私たちはイエスさまと同じ視力をもつことはできませんが、暗がりに一歩足を踏み入れること、暗みに入って目をならし、ものを見ることはできます。周りに暗い心を見かけたら。立ち止まって一歩近づく者でありたいのです。キリストの光をたずさえて。 「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」(ヨハネ福音書1:5)
《祈り》主よ、私には周りを照らすことのできるほどの光はありません。でも、私の中にキリストの灯火(ともしび)が輝いています。小さな灯火ですが、闇の中で消えることのない光です。この光をたずさえて暗みに寄り添うことができますように。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
休みの日に家族で座間にある芹沢公園を歩いていました。すると幼い息子が「あれ何だろう?」と防空壕を見つけて走りよりました。中は真っ暗で冷たい空気を感じました。勇気を出して暗闇に一歩入って覗いてみると、戦争中に防空壕で作られていた戦闘機の模型が展示してあるのが見えました。外の明るい所にいると、中の暗い様子は見えにくいのですが、一歩暗い所に入ると、目が暗闇になれて闇の中にあるものが見えてきたのです。心の目も同じですね。楽しくて心が明るい時には、世の中の暗い部分に目が届きにくいものです。 イエスさまは、世の中にある暗闇にいつも目を向けてくださいました。心に闇を抱えている人たちを見つめてくださいました。ある日、イエスさまは神殿の境内でユダヤ人たちと論争し、敵意を向けられ、石を投げつけられそうになって逃れてきました。そのような危険な状況であったのに、通りすがりに目の見えない人を見かけられたのです。彼の心の中の暗がりを察して、立ち止まって彼を見つめました。盲人の心の闇にはっきりと意識を向けられたのです。 私たちはイエスさまと同じ視力をもつことはできませんが、暗がりに一歩足を踏み入れること、暗みに入って目をならし、ものを見ることはできます。周りに暗い心を見かけたら。立ち止まって一歩近づく者でありたいのです。キリストの光をたずさえて。 「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」(ヨハネ福音書1:5)
《祈り》主よ、私には周りを照らすことのできるほどの光はありません。でも、私の中にキリストの灯火(ともしび)が輝いています。小さな灯火ですが、闇の中で消えることのない光です。この光をたずさえて暗みに寄り添うことができますように。
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