ユダだけではない

「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『よく言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさか私のことでは』と代わる代わる言い始めた。」 (マタイによる福音書26章21-22節)
 国会議員の裏金問題など「政治とカネ」の話は昔からあります。これまでも逮捕者が出ては法律を改正し、政治家はその抜け穴を見つけ出すということを繰り返してきました。市民の肌感覚ではもう慣れてしまっていて、心の底から腹を立てて声を上げたりデモをしたりする熱はありません。国民は冷めているという印象です。ここまで国民を「慣らしてしまった」ことが問題であるように思えます。ただ、問題は多かれ少なかれ、野党も同様の問題を秘めているのではないでしょうか。国民はそのことも感じ取っていて、裏金事件を追及する野党が、身内から同じ不祥事が出たらどうするのでしょうか。「政治にお金がかかる」とはずっと言われ続けてきましたが、国民の生活を守るための政治になぜお金が必要なのか。政治は「クリーン」vs「 ダーティー」と単純に割り切れないもののようです。 イエスさまの弟子の一人であるイスカリオテのユダは、時の権力者から銀30枚を受けとりイエスさまを裏切ってしまいました。ユダだけではありません。確かに、自分からイエスさまを売りにいったユダと他の弟子たちとは違いますが、弟子たちもイエスさまを見捨てたのです。最後の晩餐で、イエスさまが弟子の裏切りを予告した時、弟子たちは悲しんで「まさか私では・・・」とたずねました。しかし、イエスさまが逮捕された夜、彼らはイエスを一人置いて逃げていきました。聖書は弟子たちを通して、身勝手な私たち人間の姿を描き出しています。それでも、イエスさまはそんな弟子たちを、そして私たちを愛して下さいました。弱くて身勝手な人間と知りながらも、そんな私たちを救うために十字架にかかり死んで復活して下さったのです。たとえ私たちが、その手を離してしまっても、イエスさまの愛が変わることはありません。
《祈り》主よ、私たちは金銭を前にして欲が露わになります。神と富の二つに仕えることはできません。あなたに従って歩むことができるように導いてください。
牧師 和田一郎
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