メダルの価値

「誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 (ルカによる福音書18章14節)
 ある年のオリンピックの開催中に、メダリストを対象にしたアンケートがありました。「銀メダル」を獲得した選手と、「銅メダル」を獲得した選手の幸福度を比べました。もちろん銀メダルをとった選手の方が幸福感が高いと思うでしょう。 ところが結果は逆でした。銀メダルを獲得した人より、銅メダルを獲得した人の方が幸福度が高かったのです。なぜなら銀メダリストは、自分を金メダリストと比較し、銅メダリストはメダルを獲得できなかった人と比較したからです。自分の努力と実力を発揮する達成感より、他者との比較がその人の幸福感を決定する。スポーツのような勝負の世界は、相手を意識しないわけにはいきません。しかし、人生の幸福を考えるときに他人と比べてしまうと不安は尽きません。 イエスさまは、他人と比較して満足したり落胆したりする人に対して、本当の自分の価値は神さまに目を向けた時に分かるのだと、たとえを話されました。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」(ルカ福音書18:10-14) イエスさまは、自分を低くしたほうが、後で大きな報いがあると言われているのではありません。徴税人(当時は罪人扱いされた人)は他人をいっさい見ておらず、ただ神さまの前に立ち、自分は神の前に立つに値しない者、そのような自分をも常に心にかけ、愛してくださる神さまに信頼しています。私たちは心を天に向けることで、他人と比べて自分を高く、また低く評価することから自由になります。自分で自分を肯定できるかどうかではなく、神様が自分を肯定しておられることに目を向けることにより、自分の価値を知るのです。
《祈り》人と自分を比べてばかりの私を神様、憐れんでください。心の目を高くあげて、主の声に従い、あなたに心を向けて歩むことができますように。
牧師 和田一郎
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