すべての出来事に時がある

「イエスは、『私に触れたのは誰か』と言われた。」 (ルカによる福音書8章45節)
 機械時計は修道士によって発明されました。当時の修道士は決められた時間に祈り、奉仕することが求められ、時間を管理する必要があったそうです。朝昼夜の1日3回、あるいは3時間おきに鐘を響かせる習慣も始まりました。14世紀になるとドイツのある町に共同時計が置かれて、一日の勤労時間と夜間外出禁止が定められました。その頃から「自然時間」、つまり昼と夜、春夏秋冬が有機的に織りなす時間よりも、時計の時間が優位になっていきました。やがて「Time is money(時は金なり)」というベンジャミン・フランクリンの言葉が広がり、時間はお金と同様に貴重なものだという認識が広がりました。これは時間の価値が生産性で決まるという価値観が前提になっています。  イエスさまも時間に追われることがありました。ある時、忙しく先を急いでいました。会堂長の娘の病気を癒しに行くのです。ところが一人の女性が長年患っている出血の病気が「イエスさまの着物にさわれば、きっと直る」と考え、群衆の中に紛れ込みさわったのです。イエスさまはこのことに気付かれ「私に触れたのは誰か」と言われました。それを聞いたペトロは「先生、群衆が取り巻いて、ひしめき合っているのです。」 つまり大勢の人々が群がって先を急いでいるのに、ここであなたに触れた人など分かりません、先を急ぎましょうと促したのです。ところがイエスさまは「誰かが私に触れた」と立ち止まりました。その女性は恐ろしくなり、イエスさまの前にひれ伏します。そして、自分の身に起こった出来事をあますところなく打ち明けました。これをイエスさまはじっと聞いてくださったのです。弟子たちには無駄な時間に思えたでしょう。しかし、イエスさまは自分の働きの都合ではなく、女性の「イエスさまに触れれば、きっと癒される」と意を決した、この時を大切にされたのです。 十二年間、医者に全財産を使い果たしても誰にも治してもらえなかった苦しみを、イエスさまは時間をとって聞いてくださったのです。そして「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と告げました。時間の価値は生産性で決まるものではありません。神さまが与えてくださった時間です。神さまが与えてくださった自然のリズムの中で、神と共に過ごし、より豊かに、愛し愛され、神の御心を生きる時間としていきましょう。
《祈り》神さま、あなたは今日という一日を与えてくださいました。朝があり、昼があり、夕があり、昨日はなかった景色に目を輝かせ、一期一会の出会いに喜びがあります。天の下にはすべての出来事に時がある。またとないこの一日を有難うございます。
牧師 和田一郎
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