信じる者も、信じない者も共に集う

「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、『私たちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。』」 (ヨハネ福音書20章24-25節)
 その部屋の中には弟子たちが集まっていました。「私たちは復活された主を見たのだ!」と喜んで話し合っている多くの弟子たちと、「イエスさまの復活を信じない、納得できない、分からない」と疑っていたトマスも他の弟子たちと共にこの部屋にいました。つまりイエスさまの復活を信じている人と、信じていない人がこの部屋にいたのです。まるで私たちの高座教会のようだと思いました。 高座教会にはさまざまな礼拝があります。主日の礼拝や幼稚園保護者が集う伝道礼拝もあります。イエスさまは目には見えなくても、今も生きていると信じている人たちがいますが、一方で、聖書や信仰に関心はあるけれども納得できない、よく分からないと思っている人もいます。さまざまな思惑で集まっているところに、復活したイエスさまが来て下さり「あなたがたに平和があるように」と語りかけて下さるのが私たちの礼拝です。弟子たちはトマスに「わたしたちは主を見た」と何度も話すのです。それを信じないトマスに対して落胆したり、怒ったり仲間外れにしたりしませんでした。共に祈り合い、賛美して一緒に礼拝するのです。つまり私たちはイエスさまを信じることができない、理解できないという人を喜んで受け入れて、共に礼拝を捧げることを求められているのです。
《祈り》疑うものにも、信じるものにも「平和があるように」と語りかけてくださる神よ。あなたは、あの弟子たちが集う部屋に来られたように、今も私たちの礼拝のただ中に来てくださいます。一人でも多くの方が、あなたを心の真ん中に受け入れることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/