信仰の分水嶺
「さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。』すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み ただ主に仕えよ」と書いてある。』」 (マタイによる福音書4章8-10節)
家族三人で尾瀬に行ったのは息子がまだ2歳の頃でした。福島県会津から入っていくルートで長蔵小屋という古くからある小屋に泊まり、目の前に尾瀬沼が広がっていました。息子は尾瀬沼を見て「海だ!」と言ったので「これは海じゃなくて沼だよ。この水は川に流れて太平洋の海まで行くんだよ」と教えました。しかし、私は間違ったことを教えていました。尾瀬の水は太平洋ではなくて日本海に流れると山小屋の人に教わりました。「あれ?おかしいな。どこかで太平洋の源流というのを見た気がしたのに・・・」。 実は、長蔵小屋の裏の峠を越えるとそこからは太平洋に流れる川に繋がっていると分かりました。つまり尾瀬はちょうど日本の中央分水嶺の境にあったのです。尾瀬といえば鳩待峠から入る方が多いと思います。あの鳩待峠はまさに分水嶺の境にある峠で、そこから尾瀬ケ原に一歩下れば日本海側、反対側に下れば太平洋側に流れる水域になるのです。鳩待峠にふりそそいだ雨は、右か左か、そのわずかな差でまったく違うゴールに向かって行くのです。 イエス様は、荒れ野で試練をお受けになりました。それは3年におよぶ公生涯の行き先を決める、信仰の分水嶺だったのです。悪魔の試みによって「自分中心で生きていいのだよ」という誘惑を退けて、父なる神と離れることなく3年間の公生涯を生き抜かれました。分水嶺で流れだした水は、十字架というすべての人の救いの成就へと向かって流れ続けました。 しかし、私たち人間はどうでしょう。信仰を持ったからと言って、いつも神さまを中心とした生き方ができるかといったら、そうとはいえません。分水嶺で間違った方へ行ってしまっても悔い改めれば大丈夫です。そのためにイエス様が来られたのですから。イエスさまは私たちを日々、信仰の分水嶺に置いてくださいます。今日という一日を、神さまの水域に身を置けば、あとは大丈夫!永遠の命という生きた水の流れにのって、神の国へと流れつくことができるのです。
《祈り》主よ、私は道を選ぶことができます。右の道なのか左の道なのか、神の国へ向かっていくのか、自己中心という国へ向かって行くのかを選ぶことができるのです。正しい道はあなたと共にいることで分かるはずです、それでも道に迷ってしまったら、主よ悔い改めます。どうぞ正しい道へと引き戻してください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
家族三人で尾瀬に行ったのは息子がまだ2歳の頃でした。福島県会津から入っていくルートで長蔵小屋という古くからある小屋に泊まり、目の前に尾瀬沼が広がっていました。息子は尾瀬沼を見て「海だ!」と言ったので「これは海じゃなくて沼だよ。この水は川に流れて太平洋の海まで行くんだよ」と教えました。しかし、私は間違ったことを教えていました。尾瀬の水は太平洋ではなくて日本海に流れると山小屋の人に教わりました。「あれ?おかしいな。どこかで太平洋の源流というのを見た気がしたのに・・・」。 実は、長蔵小屋の裏の峠を越えるとそこからは太平洋に流れる川に繋がっていると分かりました。つまり尾瀬はちょうど日本の中央分水嶺の境にあったのです。尾瀬といえば鳩待峠から入る方が多いと思います。あの鳩待峠はまさに分水嶺の境にある峠で、そこから尾瀬ケ原に一歩下れば日本海側、反対側に下れば太平洋側に流れる水域になるのです。鳩待峠にふりそそいだ雨は、右か左か、そのわずかな差でまったく違うゴールに向かって行くのです。 イエス様は、荒れ野で試練をお受けになりました。それは3年におよぶ公生涯の行き先を決める、信仰の分水嶺だったのです。悪魔の試みによって「自分中心で生きていいのだよ」という誘惑を退けて、父なる神と離れることなく3年間の公生涯を生き抜かれました。分水嶺で流れだした水は、十字架というすべての人の救いの成就へと向かって流れ続けました。 しかし、私たち人間はどうでしょう。信仰を持ったからと言って、いつも神さまを中心とした生き方ができるかといったら、そうとはいえません。分水嶺で間違った方へ行ってしまっても悔い改めれば大丈夫です。そのためにイエス様が来られたのですから。イエスさまは私たちを日々、信仰の分水嶺に置いてくださいます。今日という一日を、神さまの水域に身を置けば、あとは大丈夫!永遠の命という生きた水の流れにのって、神の国へと流れつくことができるのです。
《祈り》主よ、私は道を選ぶことができます。右の道なのか左の道なのか、神の国へ向かっていくのか、自己中心という国へ向かって行くのかを選ぶことができるのです。正しい道はあなたと共にいることで分かるはずです、それでも道に迷ってしまったら、主よ悔い改めます。どうぞ正しい道へと引き戻してください。
牧師 和田一郎
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