唱えるのと、お祈りをすることはおなじじゃない

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」 (マタイによる福音書6章8節)
 『赤毛のアン』のアン・シャーリーに、マリラは言いました。 「日曜学校はどうだったかい?」。するとアンは「あたし、ちっとも好きじゃないわ。いやだったわ・・・ベルさんは、おっそろしくながいお祈りをなさったわ・・・それもあんまり熱心じゃなかったわ。神様のいらっしゃるところはあんまり遠いから、いくら一生懸命にしたって、つまらないと思っているんじゃないかとあたし考えたわ。でもあたし、自分だけで、小さなお祈りを言ったのよ・・・」(『赤毛のアン』第十一章)  このようなアンの言葉に、著者モンゴメリの信仰観があらわれているように思えます。牧師夫人であり、作家であったモンゴメリは小さい子どもにとって教会というのは退屈なところだという側面もあることや、教会学校に来た子どもたちが、まったくべつの空想世界に浸ることはよくあることだ。それは当然のことで実は、「信仰の本質」ということについては、アンのように「神さま、ありがとうございます。ああ、ありがとうございます!」と、形式的ではなく心から素直に感謝できる祈りのほうが、より神さまの望みに近いという思いが、モンゴメリにはあるのではないでしょうか。 「祈りなさい」と、イエスさまは今日わたしたちに祈ることを求めていらっしゃいます。それはなぜかというと、父なる神さまが私たちの祈りを待っておられるからです。私たちは祈れないことがあります。それは、祈りにおける大事なことを忘れてしまっているからです。祈りは誰に語っているのか、その方はどのような方なのかを忘れているのではないでしょうか。神さまなどいないような生き方をしたり、呪文をとなえるような祈りを悲しまれる方です。イエスさまは、愚痴だって不満だって受け止めてくださいます。主イエスは生きておられます。あなたの祈りを待っているでしょう。アンは教会学校を振り返って言いました。 「お祈りを唱えるのと、お祈りをすることはおなじじゃないわ」と。
《祈り》いつも聞く耳をもってくださる神さま、あなたは私の祈りを聞きたいと願い、私の祈りを待っておられるのに、私は魂不在の呪文のような祈りをしてしまい、すみませんでした。あなたが私の祈りを聞きたいと願って待ってくださっているのですから、あなたに向かって、しっかりと祈ります。
牧師 和田一郎
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