黙食の恵み

「私の恵みはあなたに十分である。」 (コリントの信徒への手紙二12章9節)
 6月中旬に富士の裾野にあるマリア修道院 “黙想の家"で修養会を行ってきました。富士山の麓のさわやかな高原の空気と、聖心女子学院の広大な敷地の中にある茶畑に囲まれた“黙想の家"は、神さまが創造された自然の素晴らしさを味わえる場所です。 黙想の家なので食事をする時は黙食、廊下やホールも沈黙。おしゃべりする部屋は決められています。15~20人ほどが集まって、黙って食事をすると聞くと、つまらなそうに聞こえるでしょう。しかし、初参加したある姉妹が「ふだんこんなに静かに一口づつ食事を味わったことがなかった。食事が美味しかった」と語っていたのです。そうか、以前からこの “黙想の家" の食事は美味しいと、参加される皆さんが言ってました。確かに地元で採れる食材を手作りで丁寧に作ってくださって本当に美味しいと思うのですが、黙食というルールがなければ、おしゃべりに気を取られて、食を味わう意識は半減してしまうでしょう。美味しいものを、美味しく味わえたのは「黙食」にあったのだと気づきました。 家での食事といえばテレビを見ながら食べたり、息子に「野菜をしっかり食べなさい!」と気にしながら食べていて、「味わう」余裕がありません。もちろん、家庭で黙食はありえませんし、美味しい食事が会話を弾ませてくれて、それも良いのですが、霊的にいえば心を静めて神さまがすでに与えてくださった恵みをしっかりと受け取っていない生活に気づかされるのです。晴れの日には日差しの温かさ、雨の日には潤いと静けさという恵みがある。妻が作ってくれる日々の食事を、美味しく味わうことも神さまに感謝すべきことです。 使徒パウロは、自分のもつ病気や障害を治してくださいと神に祈りましたが、その答えが「私の恵みはあなたに十分である。」というものでした。つまり、病気や障害があっても、すでに神の恵みをあなたは十分に受け取っていますということです。すでに受け取った恵みに目を向けること。今、その恵みの中で生かされていることに感謝をすべきだと聖書は語ってくれています。
《祈り》私は「もっと、もっと」と、現状を変えてくださいと祈ってしまいます。これが欲しい、これはいらないから消し去ってくださいと。しかし、今の現状は私にとって十分です。神さまの恵みに目をむけていなかったのです。今ある恵みに感謝します。
牧師 和田一郎
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