神を担ぎ出す
「民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。『なぜ、主は今日、我々がペリシテ人に打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから運んで来よう。そうすれば、主は我々のただ中に来られ、敵の手から救ってくださるであろう。』」 (サムエル記上 4章3節)
「契約の箱」とは、モーセが神から授かった十戒の言葉を刻んだ二枚の石の板が納められている「神の箱」のことです。それは、シロという町の聖所の中心に置かれ、そこで礼拝がささげられていました。つまり、神の箱はイスラエルの民にとって信仰と礼拝の中心でした。ところが、イスラエルの民はペリシテ人との戦いで劣勢になると、神さまに加勢してもらい、敵を打ち破ろうとして、「神の箱」を戦場に持ち出すことを決めたのです。しかし、これは二重の意味で大きな誤りでした。 第一の誤りは、「神の箱」を担いでくれば、神さまも自動的に出陣してくださると思い込んだことです。確かに神の箱は、神が臨在される象徴とされていましたが、それは神がその箱の中におられ、箱を運べば神を思い通りに動かせるということではありません。私たちの信じる霊なる神は、お神輿のように担ぎ出すことのできる存在ではないのです。 第二の誤りは、神さまを自分たちの願いや必要を満たす手段として利用しようとしたことです。神を「自分たちの願いをかなえる道具」と考えた時点で、それはもはや偶像と変わらないものとなってしまいます。生ける神を、自分たちの都合に合わせて動かそうとしたのです。 その結果、イスラエルはペリシテ人との戦いに無残に敗れ、神の箱を奪われてしまいました。神さまは、あえて「神の箱」を敵の手に渡し、イスラエルに敗北を経験させられたのです。戦いに敗れてからイスラエルの長老たちは「なぜ我々は敗れたのか?」と神に問いかけましたが、私たちはまず祈りの中で神の御心をたずねるべきです。そして、本当の礼拝とは、神を「呼び出す」ものではなく、すでに共にいてくださる神に、心から応答することです。「神が私たちと共におられる」という確信を持って、日々、主と共に歩んでいきましょう。
《祈り》主よ、あなたを手段とせず、真実にあなたをあがめる心をお与えください。共におられるあなたに、いつも従う者としてください。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「契約の箱」とは、モーセが神から授かった十戒の言葉を刻んだ二枚の石の板が納められている「神の箱」のことです。それは、シロという町の聖所の中心に置かれ、そこで礼拝がささげられていました。つまり、神の箱はイスラエルの民にとって信仰と礼拝の中心でした。ところが、イスラエルの民はペリシテ人との戦いで劣勢になると、神さまに加勢してもらい、敵を打ち破ろうとして、「神の箱」を戦場に持ち出すことを決めたのです。しかし、これは二重の意味で大きな誤りでした。 第一の誤りは、「神の箱」を担いでくれば、神さまも自動的に出陣してくださると思い込んだことです。確かに神の箱は、神が臨在される象徴とされていましたが、それは神がその箱の中におられ、箱を運べば神を思い通りに動かせるということではありません。私たちの信じる霊なる神は、お神輿のように担ぎ出すことのできる存在ではないのです。 第二の誤りは、神さまを自分たちの願いや必要を満たす手段として利用しようとしたことです。神を「自分たちの願いをかなえる道具」と考えた時点で、それはもはや偶像と変わらないものとなってしまいます。生ける神を、自分たちの都合に合わせて動かそうとしたのです。 その結果、イスラエルはペリシテ人との戦いに無残に敗れ、神の箱を奪われてしまいました。神さまは、あえて「神の箱」を敵の手に渡し、イスラエルに敗北を経験させられたのです。戦いに敗れてからイスラエルの長老たちは「なぜ我々は敗れたのか?」と神に問いかけましたが、私たちはまず祈りの中で神の御心をたずねるべきです。そして、本当の礼拝とは、神を「呼び出す」ものではなく、すでに共にいてくださる神に、心から応答することです。「神が私たちと共におられる」という確信を持って、日々、主と共に歩んでいきましょう。
《祈り》主よ、あなたを手段とせず、真実にあなたをあがめる心をお与えください。共におられるあなたに、いつも従う者としてください。
牧師 和田一郎
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