初めに仕事があった

「こうして天と地、そしてその森羅万象が完成した。第七の日に、神はその業を完成され、第七の日に、そのすべての業を終えて休まれた。神は第七の日を祝福し、これを聖別された。その日、神はすべての創造の業を終えて休まれたからである・・・神である主は、エデンの園に人を連れて来て、そこに住まわせた。そこを耕し、守るためであった。」 (創世記2章1-15節)
 私はある人から、次のような質問をされました。「先生、仕事ってほんとに嫌になっちゃいますよ。人間って、いつまでも働かなければならないなんて・・・。これも、人間がエデンの園で犯した罪に対する罰なんですよね?」と言うのです。その人は仕事に行くのが苦痛のようでした。確かに仕事はどんな職業であっても大変です。 ところで聖書を見ると、聖書は天地創造のところから「仕事」について語っていることがわかります。つまり仕事は、人間にとって重要で、基本的なものだということです。創世記は、神が世界を造られることを「仕事」として表現しました。宇宙を造るという壮大な出来事も、七日間の「働き」として語られ、その後に人間がエデンの園で「働く姿」が描かれます。仕事は、神の秩序ある創造と、人間の生きる意味とが深く結びついているのです。 また創世記の最初の章では、人間の普通の仕事を表すヘブル語「マルアハー」という言葉を使って、神が「働いていた(業わざ)」(創2:2)ことが記されています。研究者の中には、「天地創造のような偉大な神の働きを、人間の日常の仕事と同じ言葉で表すとは驚くべきことだ」と指摘しています。つまり、天地創造の初めから神は働いておられました。仕事は、世界が造られた後に追加された<必要悪>ではなく、まして、人間の罪に対する罰ではなく、必要不可欠なものなのです。人間には必要でも神にはふさわしくないもの、ということでもありません。そうではなく、神ご自身が仕事を喜び、楽しんでなさったのです。仕事には、もともとこんなに素晴らしい始まりがあったのです。
《祈り》神さま、あなたは人をエデンの園に置かれ、耕し守る働きを委ねてくださいました。今を生きる私たちも、与えられた賜物を活かし、隣人に仕える喜びを知ることができますように。仕事を重荷ではなく、あなたと共に歩む恵みとして感謝と喜びをもって捧げることができますように。
牧師 和田一郎
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