荒削りなままで

「私は、キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」 (フィリピの信徒への手紙3章10-11節)
 讃美歌303番「丘の上の主の十字架」は、ひとりの牧師によって作詞・作曲された讃美歌です。その作者は ジョージ・ベナード。彼は炭坑夫の息子として生まれ、16歳の時、落盤事故で父を失いました。突然、母と四人姉妹の生活を養う責任が、まだ少年であった彼の肩にのしかかります。彼は炭鉱で働くために学校をやめたのです。この若い時代の苦難は、彼の信仰と人格を深く作り上げ、後の歩みの基礎となりました。
結婚後、24歳で救世軍(キリスト教プロテスタント宗派)で信仰をもち、後にメソジスト教会の牧師になります。生涯に作ったゴスペル曲を作り続けました。この讃美歌の出発点は「古い荒けずりの十字架(an old rugged cross)」という主題でした。続いてメロディーが浮かびましたが、歌詞を完成させるまでには苦悩がありました。彼は、主の十字架の贖いの意味を本当に悟りたいと願っていました。そして、「自分もキリストの苦しみにあずかりたい」(フィリピ3:10)との思いを抱きながら祈り続けていたのです。 「荒削り」ruggedは、「粗野で洗練されていない」との意味です。青年時代を炭鉱労働者として過ごしたベナードには、洗練された教養とは無縁だったでしょう。乏しい学歴の元炭鉱夫はまさに「荒削り」でした。学校教育をまともに受けずに牧師となった自分と十字架のキリスト。ある日、神の霊感に満たされて一気に詩を書き上げました。やがてこの讃美歌は瞬く間に世界へと広がっていきます。 キリストの十字架を見つめ、その苦しみにあずかろうとした一人の信仰者の歩みは、今も私たちに問いかけています。荒削りな自分、荒削りな人生。復活の力を知る道は、荒削りな十字架を避けることではなく、そこに向き合うことから始まるのだと
《祈り》神さま。どうか荒削りな私を見てください。整えられ迷いのない者ではありません。もっと信仰深くならなければ、あなたに近づけないと諦めている私がいます。しかしあなたは、荒削りな私を、そのままで受け入れてくださいます。あの荒削りな十字架にかかってまで、私たちを拒まず、愛し抜いてくださったことを感謝いたします。
牧師 和田一郎
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