「神は弱いところに現れる」 その時モーセは考えた⑤

全12回 月曜-火曜
「『私は雄弁ではありません。私は本当に口の重い者、舌の重い者です。』 そこで主は彼に言われた。『誰が人に口を与えたのか。また、誰が口を利けなくし、耳を聞こえなくし、目を見えるようにし、見えないようにするのか。主なる私ではないか。』」 (出エジプト記4章10-11節)
 モーセは神さまから召し出され、イスラエルの民を導く大きな使命を受けました。ところが彼はすぐに前へ進めません。「私は口下手です。口が重く、舌の重い者なのです」と、自分の弱さに目を向けたのです。人々を説得し、エジプトの王、ファラオと交渉するなど、とても自分には無理だと思いました。 しかし神さまは言われます。「誰が人間に口を与えたのか・・・主なる私ではないか。」私たちを造り、話す力、聞く力、見る力を与えたのは神さまです。それだけでなく、思うようにできない部分さえも、神さまの御手の中にあるのだと言うのです。できることだけでなく、できないこと、足りないと感じることも含めて、神さまは私たちをよく知っておられるのです。 続けて言われました。「さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」使命は、自分の力だけで背負うものではありません。必要な言葉も、助けも、神さまが備えてくださるのです。 ここに私たちは“摂理"を見つめます。人生の道のりには、偶然のように見える出来事や不安もあります。それでも神さまは造り主として、また導き手として、私たちの歩みを支配し、必要な時に必要な恵みを与えてくださいます。召しに応えて進むとは、「神さまが共におられる」という約束に信頼して、一歩踏み出すことです。 だから私たちも、「自分には無理です」と立ち止まる時、こう覚えたいのです。 「わたしの力は弱さの中で完全に現れる」(2コリント12:9)
《祈り》主よ、どうか私たちが自分の力だけに頼るのではなく、あなたの導きを信じて歩めるようにしてください。できることも、できないことも、すべてを知っておられるあなたが、必要な恵みを備えてくださることを信じることができますように。
牧師 和田一郎
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