ドキュメント健康診断

「天の下では、すべてに時機があり すべての出来事に時がある。生まれるに時があり、死ぬに時がある。植えるに時があり、抜くに時がある。」 (コヘレトの言葉3章1-2節)
 「ドキュメント72時間」というテレビ番組をよくみます。その日の撮影場所は健康診断をする病院。検診に来る人の理由は人それぞれ。「長生きして孫の顔を見たいんだよね」「病気をきっかけに、生活習慣を変えたの。だから検査の数値見るのが楽しみ!」など、さまざまだ。 ところが、ある一人の女性は言った「健康診断は初めてよ。職場から法律で行かないと仕事を続けられないよと言われたので、仕方なく来たの。」その日の番組では、唯一シブシブ健康診断に来た人だった。これまで健康診断を受けずに生きてきた。「病気になったらなったで、そのまま対応したいの」「これで死ぬのかな?と思う病気もしたけど、自然に治ったし」「運動や食事に気を使っていても若くして死んだ友だちもいるし・・・人って、こうすれば健康になるっていう考えが及ばないところで、できているというか・・・神秘だなって」考えているらしい。確かに「寿命」って何だろう・・・。 「そういうことも含めて自分の生き様っていうか、治らなければ、それが寿命だって思いたいんですよね」とにこやかに言った。健康診断の結果は見ないのだという。それが仕方なく診断を受けたことに対する抵抗だそうだ。いろんな人がいる。 コヘレトの言葉が語る「時」とは、人間がすべてを決められないという事実を、受け入れることから始まります。生まれる時も、死ぬ時も、植える時も、抜く時も、それは神の手の中にある「時」です。私たちは健康を願い、努力を重ねます。それは尊いことです。 しかし同時に、人生のすべてを数値や結果で把握できるわけではありません。治らないこともある。思いがけず回復することもある。そのどちらも、人生の「時」として与えられています。知ろうとすることと、委ねること。管理しようとすることと、受け入れること。その間で揺れ動きながら、私たちは生きています。 「治らなければ、それが寿命だと思いたい」この言葉は、死を軽んじているのではなく、生を、あるがままに引き受けようとする姿勢のように思いました。「すべてに時がある」それは「諦め」ではなく、むしろ、今日という一日を、深く生きるための言葉なのかもしれません。
《祈り》私たちは、健康を願い、努力し、先のことを知ろうとし、人生を自分で管理しようとします。しかし、治る時も治らない時も、思いがけない回復や、避けられない別れも、すべての「時」を、あなたが共にいてくださると信じる日々でありますように。
牧師 和田一郎
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