がっかりに慣れても

「時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の下にある者を贖い出し、私たちに子としての身分を授けるためでした。」 (ガラテヤの信徒への手紙4章4-5節)
 私は「がっかりすることに慣れた世代です」とかつて、高座教会で奉仕して下さった篠﨑千穂子先生(めぐみ教会牧師)が説教の中で語っておられました。学生時代『超氷河期』と呼ばれた時代を過ごし、今では『失われた世代』などと呼ばれている世代だそうです。ですから「期待する力」よりも、「がっかりする力」を身につけてきた人が多い世代なのだと。 1993年から2005年頃の就職困難時代に新卒期を迎えた世代は、別名「ロストジェネレーション世代」とも呼ばれます。バブル崩壊後に採用を控えようとする社会でしたので、正社員としての就職が難かしく、非正規雇用を選ばざるを得ない人が多くいました。真面目で貯蓄志向が強く、慎重な行動を取る人が多い世代だといわれます。つまり、努力が必ずしも報われない現実を生きてきたので、「努力は報われる」と信じて生きてきた高度経済成長を生きてきた親の世代とは、社会や未来に対する期待に温度差があるのですね。 旧約聖書と新約聖書の中間にも、神の言葉を聞くことができなかったロストジェネレーションがあります。約400年の沈黙の時代(預言の沈黙)」として語られる中間時代です。この中間時代を経てイエス・キリストが地上に来られて十字架と復活という新しい時代が開かれました。使徒パウロは「時が満ちると・・・」と語ります。それは単に頃合いが来たという意味ではありません。祈っても答えが見えないような沈黙が続き、待っても待っても状況が変わらないように思える、そんな時代を経た末に、それでも神がご自身の御心の時をもって介入してくださるということです。 「がっかりすることに慣れた世代」という言葉は、世の中の現実をよく表していますが、聖書はそこで終わりません。失われた時代を通り抜けた者たちに向かって、「時が満ちると、わたしは御子を遣わした」と告げておられます。私たちの人生が、ただの“失望の積み重ね"で終わらないために。キリストによって、新しい時代はすでに始まっています。その時代を生きる私たちは、どんな現実の中にあっても、希望を失わない者として歩むことができるのです。
《祈り》よ、キリストによって始まった新しい時代を生きる者として、今が、どんな現実であっても希望を失わず、小さな一歩を踏み出す勇気を与えてください。
牧師 和田一郎
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