健康は幸福の条件の一つにすぎない

「私は、自分の置かれた境遇に満足することを学びました。」 (フィリピの信徒への手紙4章11節)
 健康は幸福の条件の一つにすぎません。 高齢になってからの幸福について考える時、健康であることが大切なのは言うまでもありません。しかし、健康であれば幸せなのでしょうか? ある人は、高齢者を「健康で幸福な人」「健康だが不幸な人」「不健康だが幸福な人」「不健康で不幸な人」の四つに分けて考えました。確かに私たちの周りを見ても、健康であっても不満や孤独を抱えている人がいます。反対に、病気や障がいを抱えながらも感謝して幸せに生きている人もいます。 私たちはつい、健康であることを人生の最大の目標のように考えてしまいますが、健康は人生の目的ではありません。健康は幸せな人生を送るための大切な条件の一つではありますが、それ自体が人生の意味ではないのです。 使徒パウロは、この手紙を書いた時、牢獄の中にいました。そして彼は、病気か障害を抱えていたとも言われています。決して環境に恵まれた状態ではありませんでした。しかし、そのような状況の中で「どんな境遇にあっても満足することを学びました」と語っています。パウロが楽観的だったということではありません。「学びました」とあるように、長い人生で神によって教えられたのです。豊かな時、苦しい時もありました。成功も失敗も経験しました。そのすべてを通して、神が共にいてくださることを知ったのです。 幸福とは、何一つ問題のない人生を手に入れることではありません。どのような状況の中にも神の恵みを見いだし、「今日も生かされている」と感謝できることです。神の愛に支えられていると知る時、人は本当の幸福に出会うのではないでしょうか。
《祈り》主なる神さま。どのような境遇の中にあっても、あなたが共にいてくださることを信じ、感謝して歩むことができますように。喜びの日も、苦しみの日も、あなたの恵みを覚えて生きる者としてください。
牧師 和田一郎
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