私たちの罪を赦してください。私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
主の祈り⑥ (全8回)
「負い目」という言葉があります。これは「罪」を表す言葉ですが、罪を借金になぞられているのです。人は返さなければならないと思って、良いことをしようとしても、また悪いことをしてしまう。いつになっても返せない、神さまに対して借金を負っているようなものです。自分勝手に使ってしまって負い目を返すことができません。残る道はたった一つ、負い目を返すのではなくて、負い目を赦してもらうしかありません。 神さまは、まさにその赦しの手段を与えてくださって御子イエスさまに私たちの罪をすべて負わせたのです。それでキリストを「主」と信じる者はだれでも赦されるのです。 「私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」というのは、「他の人を赦したから、私たちも赦してください」という交換条件ではなくて「私たちが赦されたのだから、私たちも他の人を赦します」ということです。イエスさまは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10:8)と言われました。「私たちの負い目を赦してください」と祈る時、「あなたも他の人に対して赦せるのか」を問われるのですね。私たちはイエスさまを信じて、赦されたことは確実なものとして変わることはありませんが、まだ罪の性質は残っているので根源にある罪は赦されていても、日々の罪について神さまに赦しを願うのです。
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」 (コロサイの信徒への手紙3章13節)
《祈り》主よ、いま私の中にある負い目に気づかされました。いつも、あなたに願いごとを祈っていた時にも、私は赦せない思いを抱えていたのです。私は赦せるでしょうか。主よ、どうかこの私を憐れんでくださいますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「負い目」という言葉があります。これは「罪」を表す言葉ですが、罪を借金になぞられているのです。人は返さなければならないと思って、良いことをしようとしても、また悪いことをしてしまう。いつになっても返せない、神さまに対して借金を負っているようなものです。自分勝手に使ってしまって負い目を返すことができません。残る道はたった一つ、負い目を返すのではなくて、負い目を赦してもらうしかありません。 神さまは、まさにその赦しの手段を与えてくださって御子イエスさまに私たちの罪をすべて負わせたのです。それでキリストを「主」と信じる者はだれでも赦されるのです。 「私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」というのは、「他の人を赦したから、私たちも赦してください」という交換条件ではなくて「私たちが赦されたのだから、私たちも他の人を赦します」ということです。イエスさまは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10:8)と言われました。「私たちの負い目を赦してください」と祈る時、「あなたも他の人に対して赦せるのか」を問われるのですね。私たちはイエスさまを信じて、赦されたことは確実なものとして変わることはありませんが、まだ罪の性質は残っているので根源にある罪は赦されていても、日々の罪について神さまに赦しを願うのです。
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」 (コロサイの信徒への手紙3章13節)
《祈り》主よ、いま私の中にある負い目に気づかされました。いつも、あなたに願いごとを祈っていた時にも、私は赦せない思いを抱えていたのです。私は赦せるでしょうか。主よ、どうかこの私を憐れんでくださいますように。
牧師 和田一郎
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