千両のみかん

「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、私たちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そこにあるすべてのものを造られた方です。」 (使徒言行録14章15節)
 落語で「千両みかん」という話がある。ある呉服屋の息子の若旦那が心の病気にかかり、医者は「思っていることが叶えさえすれば全快する」と。そこで番頭は若旦那に願い事を聞きただすと「実は・・・みかんが食べたい」と。あっけに取られた番頭は「そんなことなら!」と請けあったが時は真夏でみかんはとれない。江戸中片っ端から探すがあるわけがない。ところがある果物問屋を訪ねると「あります」との答え。「え、ある?で値段は?」と聞くと「千両」。店の蔵に一つ残ったみかんが、なんと千両。さらに驚くことに呉服屋の主人に報告すると「せがれの命が千両なら安いもんだ」と以外な答え。若旦那の所に持って行くと大喜びで食べ始めた。皮を剥くと10房あるから一房百両。まず一口目、百両食べてしまった、二百両食べたと数える番頭・・・「残りの3房は親に渡してくれ」と番頭に預けた。番頭は「こいつは高価なもんだ、みかん3房で三百両!よし!どうせ一度の人生太く生きて行こう」と3房のみかんを持って夜逃げしてしまった・・・。 番頭にとってみかんがお金に見えてしまった、お金が偶像となっていたのだ。  偶像のことを英語では「idolアイドル」となります。ギリシャ語の「エイドーロン」から派生していて、もともとは「実体のない形」という意味です。実体がないにもかかわらず、神さまのように位置づけるものはすべて偶像なのです。彫刻、お金、名誉、仕事やスマホなど、良い物で大切であっても、神よりも優先されることがあるなら偶像となり得ます。 何よりも自分自身の考えを神の御心より優先してしまうなら、自分自身が偶像となってしまいます。偶像は不完全で不確かなものですが、主なる神さまは真理です。変わる事のない真理なる神は、今も生きて私たちを見守ってくださいます。
《祈り》霊なる神さま、私たちは実体のないものに囲まれています。唯一の霊なる神さまを知っていながら、目の前にある、形ばかりの物に心を動かされてしまうのです。被造物ではなく、被造物を造られた創造主に、今日も従っていきます。
牧師 和田一郎
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