へうげもの
「陶工は粘土で作っていた器を手で壊し、自分の気に入った他の器に作り替えた。」 (エレミヤ書18章4節)
戦国時代の武将であり茶人でもあった古田織部(ふるたおりべ)は、「へうげもの」と呼ばれました。「ひょうきんもの」「奇抜な人」という意味で、彼の芸術をよく表しています。織部は、器をわざと歪ませ、左右非対称にし、割った茶碗をつなぎ合わせるなど、常識をくつがえす美を追求しました。 それは、欠けやゆがみの中にも美しさがあるという発見でした。神が人を造られるときも、同じようにひとりひとり違う形にされます。まっすぐな器もあれば、曲がった器もある。大きな壺もあれば、小さな湯のみもある。どの形も、神が意図して造られた唯一無二の作品です。完璧ではなく、むしろ不完全さの中にこそ、神の美が宿ります。私たちの欠点や弱さも、神の光に照らされるとき、味わい深い「へうげもの」のように輝くのです。 「万軍の主はこう言われる。陶工の器が砕かれると、二度と直すことができないように・・・」。この言葉は、ただの警告ではありません。神は壊すために壊すのではなく、造り直すために壊されるのです。心が硬くなってしまったとき、神さまの手は私たちをもう一度こね直し、新しい命を吹き込みます。 織部の歪んだ器が人々の心を打ったように、私たちの曲がった人生も、神の手の中で美しい物語に変えられます。神は完全な作品よりも、生きて形を変え続ける「へうげもの」のような人を愛しておられるのです。私たち一人ひとりの姿は、神が心をこめて造られた、たった一つの「美」です。
《祈り》神よ、あなたは、陶工が粘土をこねるように、私たち一人ひとりを形づくってくださいます。まっすぐな器も、歪んだ器も、どれもあなたに造られた大切な存在です。時々、私たちは自分の形を嫌い、他の誰かのようになりたいと思います。しかし、あなたの「そのままでよい。あなたはわたしの作品だ」と言われる言葉は感謝でしかありません。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
戦国時代の武将であり茶人でもあった古田織部(ふるたおりべ)は、「へうげもの」と呼ばれました。「ひょうきんもの」「奇抜な人」という意味で、彼の芸術をよく表しています。織部は、器をわざと歪ませ、左右非対称にし、割った茶碗をつなぎ合わせるなど、常識をくつがえす美を追求しました。 それは、欠けやゆがみの中にも美しさがあるという発見でした。神が人を造られるときも、同じようにひとりひとり違う形にされます。まっすぐな器もあれば、曲がった器もある。大きな壺もあれば、小さな湯のみもある。どの形も、神が意図して造られた唯一無二の作品です。完璧ではなく、むしろ不完全さの中にこそ、神の美が宿ります。私たちの欠点や弱さも、神の光に照らされるとき、味わい深い「へうげもの」のように輝くのです。 「万軍の主はこう言われる。陶工の器が砕かれると、二度と直すことができないように・・・」。この言葉は、ただの警告ではありません。神は壊すために壊すのではなく、造り直すために壊されるのです。心が硬くなってしまったとき、神さまの手は私たちをもう一度こね直し、新しい命を吹き込みます。 織部の歪んだ器が人々の心を打ったように、私たちの曲がった人生も、神の手の中で美しい物語に変えられます。神は完全な作品よりも、生きて形を変え続ける「へうげもの」のような人を愛しておられるのです。私たち一人ひとりの姿は、神が心をこめて造られた、たった一つの「美」です。
《祈り》神よ、あなたは、陶工が粘土をこねるように、私たち一人ひとりを形づくってくださいます。まっすぐな器も、歪んだ器も、どれもあなたに造られた大切な存在です。時々、私たちは自分の形を嫌い、他の誰かのようになりたいと思います。しかし、あなたの「そのままでよい。あなたはわたしの作品だ」と言われる言葉は感謝でしかありません。
牧師 和田一郎
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