「エルサレム会議―教会の分岐点」 その時パウロは考えた⑧

全12回 月曜-火曜
「人の心をお見通しになる神は、私たちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らを受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。」 (使徒言行録15章8-9節)
 パウロが回心して三年後にエルサレムに上って来た時、彼と五日間一緒に過ごしたのがペトロでした。パウロがかつて迫害者であったことを知る信徒たちに恐れられていた頃でしたが、パウロとペトロには共通理解がありました。 そしてエルサレム会議が開かれたのです。異邦人は割礼や律法を守る必要があるか?という当時の大問題に対して、ペトロは、異邦人にも聖霊が与えられたと証言し、パウロは、異邦人に宣教して、その実りを報告しました。二人は福音がユダヤ人にも異邦人にも同じ恵みであることを共に確認しました。ここで教会は、民族を超えて一つに進む道を選びました。まさに教会史の分岐点だったのです。 教会が誕生した瞬間から、信仰は「境界」をめぐる問いに向き合ってきました。ユダヤ人と異邦人、律法を守る者とそうでない者、長く信仰に生きてきた者と今はじめて信じた者。エルサレム会議は、その境界をどう扱うかが試されたのです。人が線を引いたとき、神さまはその線を越えて歩まれました。「何の差別もなさいませんでした」とあるように、聖霊は先に異邦人の心に働き、彼らを抱きしめていたのです。 教会は、時に「安心」のために境界をつくります。しかし、神の業は「安心」の内側だけにとどまらず、外にいる一人を見つけて招かれます。私たちが手を広げて歩み出すとき、そこに主の喜びが満ちます。自分の「当然」を手放し、相手の中に神が働いておられることを信じるとき、教会は境界を越えて「神の家族」として広がります。境界線を引くのではなく、橋を架ける者として、生きる教会でありたいのです。 その時パウロは考えた:「信仰とは、今の安心を超えて枠を広げる勇気を持つこと。」
《祈り》主よ、あなたは、私たちが知らぬ間に引いてしまう境界を越えて働かれる方です。自分の安全や慣れ親しんだ枠にしがみつくのではなく、あなたが先に働いておられるところへと、一歩踏み出す勇気をお与えください。教会が境界を越えるとき、あなたの喜びと平和が満ちあふれることを信じます。
牧師 和田一郎
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