先生との出会い

「あなたは、共に行く人々の目の前で、その瓶を砕き、彼らに言いなさい。「万軍の主はこう言われる。陶工の器が砕かれると、二度と直すことができないように、私はこの民とこの都を砕く。」 (エレミヤ書10章10-11節)
 ある一人の少年は、学校の勉強に興味をもてませんでした。しかし、あることをきっかけに勉強に夢中になったのです。そのきっかけは一つの象徴的な出来事でした。進級した授業の初日、彼は大して興味もなく教室で座っていた。そこへ先生が入ってきて、教室のまんなかに脚立を置き、その前にクッションを置いて、また教室を出ていったのです。 しばらくすると、今度は走って教室に入ってきて、脚立をよじ登ると「ワオッー」という掛け声とともに飛び降りた。それからキョトンとする生徒たちの顔を見渡し、こう言ったのです。「さあ、重力について考えてみよう」。こうしてその少年は科学に興味を持つようになり、大学で物理学を学び、自分の道を開いていくことができたのです。 聖書を読んでいると、ときどき「なぜこんなことをするのだろう」と首をかしげたくなる場面に出会います。 旧約聖書の預言者エレミヤの行為も、その一つです。彼は陶器師の壺を買い、町の外へ行き、その壺を打ち砕きます。そしてこう告げるのです。「陶工の器が砕かれると、二度と直すことができないように、私はこの民とこの都を砕く」(エレ 19:11)と。言葉だけでなく、目の前で壺を壊すという、あまりにも象徴的で衝撃的な行為でした。神はなぜ、このような「奇妙な行為」を通して語られるのでしょうか。 それは、人の心に届くためです。どれほど正しい言葉であっても、聞く側が慣れきってしまえば、心に響かなくなります。エレミヤの時代、人々は神の言葉を聞き流し、自分たちの歩みを省みようとしませんでした。そこで神は、壺が砕け散る音と光景を通して、「取り返しのつかない現実」を体で理解させようとされたのです。
《祈り》神さま、私たちの人生に起こる驚きや戸惑いの中で、「ここから何を学べばよいのか」「どこへ向きを変えるべきか」を問い続け、あなたが示されるしるしを、謙遜な心をもって受けとめることができますように。
牧師 和田一郎
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