あなたの鞭
「主は愛する者を鍛え 子として受け入れる者を皆 鞭打たれる・・・およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後には、それによって鍛え上げられた人々に、平安な義の実を結ばせるのです。」 (ヘブライ人への手紙12章6,11節)
「鞭で叩かれるのは可哀想だ!」 競馬のレースで、騎手が鞭(ムチ)を使っている場面を見ると、そう感じる人がいるそうです。その声もあって、現在はレース中の鞭の使用は「連続5回まで」と制限されています。けれども、騎手がムチを使う目的は、ただ馬を速く走らせるためだけではありません。馬を真っ直ぐ走らせたり、崩れた体勢を立て直したりするためにも用いられます。そもそも馬は放っておくと真っ直ぐには走りません。 特に疲れてくると左右にふらつきながら走ります。すると、ほかの馬の進路を妨げたり、ぶつかったりする危険が高くなります。そこで尻を鞭で叩き、進路を矯正するのです。つまり、ムチは危険を避ける意味を多く含んでいるのです。500キロもある動物が、時速60キロを超える速さで走ります。その中で馬と騎手の安全を守るためにも、ムチは欠かせない道具なのだそうです。 私たちは「痛み」と聞くと、すぐに「可哀想だ」と考えます。信仰生活でも同じです。思い通りにいかない人間関係の摩擦、挫折、失敗に出会うと「神さまは私を見放されたのではないか」と感じてしまいます。 しかし、神は私たちを守るために訓練されるというのです。そこで言われている「鞭」は罰ではありません。子として大切にされているしるしです。競走馬にとってのムチが危険を避けるための合図であるように、神の導きもまた、私たちの人生を壊すためではなく、守るために与えられています。神は私たちを速く走らせるためではなく、正しく走らせるために導かれるのです。
《祈り》主なる神さま。私たちは痛みに出会うと、すぐに見捨てられたと疑ってしまいます。けれども、あなたの鞭が、私たちを守り正しい道へのしるしであることを信じさせてください。理解できない時にも心を閉ざさず、ゆだねることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「鞭で叩かれるのは可哀想だ!」 競馬のレースで、騎手が鞭(ムチ)を使っている場面を見ると、そう感じる人がいるそうです。その声もあって、現在はレース中の鞭の使用は「連続5回まで」と制限されています。けれども、騎手がムチを使う目的は、ただ馬を速く走らせるためだけではありません。馬を真っ直ぐ走らせたり、崩れた体勢を立て直したりするためにも用いられます。そもそも馬は放っておくと真っ直ぐには走りません。 特に疲れてくると左右にふらつきながら走ります。すると、ほかの馬の進路を妨げたり、ぶつかったりする危険が高くなります。そこで尻を鞭で叩き、進路を矯正するのです。つまり、ムチは危険を避ける意味を多く含んでいるのです。500キロもある動物が、時速60キロを超える速さで走ります。その中で馬と騎手の安全を守るためにも、ムチは欠かせない道具なのだそうです。 私たちは「痛み」と聞くと、すぐに「可哀想だ」と考えます。信仰生活でも同じです。思い通りにいかない人間関係の摩擦、挫折、失敗に出会うと「神さまは私を見放されたのではないか」と感じてしまいます。 しかし、神は私たちを守るために訓練されるというのです。そこで言われている「鞭」は罰ではありません。子として大切にされているしるしです。競走馬にとってのムチが危険を避けるための合図であるように、神の導きもまた、私たちの人生を壊すためではなく、守るために与えられています。神は私たちを速く走らせるためではなく、正しく走らせるために導かれるのです。
《祈り》主なる神さま。私たちは痛みに出会うと、すぐに見捨てられたと疑ってしまいます。けれども、あなたの鞭が、私たちを守り正しい道へのしるしであることを信じさせてください。理解できない時にも心を閉ざさず、ゆだねることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/

