神のプリンシプル

「私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない」 (マタイによる福音書12章7節)
 1990年代、岸戦争終結後のイラクから、クルド難民40万人がトルコ国境地域に流出しましたが、トルコが自国の治安維持のために受け入れを拒否しました。行き場を失ったクルド難民は飢えと寒さに苦しみ「難民を放置してよいのか?」という国際世論が起こります。国連で難民とは「国境の外に出てきた人」と定義されているので「国境を越えていない」人々は難民ではなく国内の問題とされました。彼らを救える基準がなかったのです。 ちょうどその時期にUNHCR(国連難民高等弁務官)に就任した緒方貞子さんは、隣国イランから「助けに来てほしい」と要請を受けました。ところが難民でなければUNHCRの任務とはなりません。助けに行って難民キャンプを作っても危険地帯の真っただ中です。しかし緒方さんは人間としての基本原則(プリンシプル)を守ることにしました。それまでの行動規範(ルール)を変える決断をし、米国のブッシュ大統領に要請することにしたのです。 「イラク北部の米軍の駐留期間を延長してほしい、どうしても残ってほしい」と。人道支援機関が軍に「残ってくれ」と頼みに行くことは異例でした。しかし、大統領はこの要請を受け入れ「軍の撤退は責任を果たしながら行なう」と約束してくれたのです。難民に対する規定を変え、新しい枠組みで難民40万人を助けるに至ったのです。 緒方さんは、“be humane" という言葉をよく口にしたそうです。意味は「人間らしさを徹底せよ」です。「私は、善を持っているのが人間性だと思っています。この世の中には、あまりに多くの不正や悪がありすぎますが、人間の根本のところには「善」があると信じているのです。だから人間らしいくあれと。」(『共に生きるということ』緒方貞子著) 「命を守る」ことを優先して決断する。それは人間が人間らしくあることです。  安息日に人を癒されたイエスさまは「規則」よりも「いのち」と「慈しみ」を優先されました。「いけにえ」とは、宗教儀式で行われる規則や制度のことを指します。人は時として「決まりだから」「制度上できないから」として、目の前の苦しむ人を見過ごします。しかしイエスさまは、神が最も求めているのは制度の正確さではなく、苦しむ人に向けられる憐れみであると示されました。人間が人間らしくあるとは、神のかたちに創造された人の命を尊ぶこと。律法は「人の命」のためにあるのです。
《祈り》主よ、私たちが、決まりや都合にとどまるのではなく、人間らしく憐れみを選び取る者とならせてください。
牧師 和田一郎
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