悪の連鎖を断ち切ろう

王は、『アヒメレクよ、お前は必ず死ななければならない。お前の父の家の者も皆同様だ』と言い、傍らに立っている護衛たちに命じた。『ここに来て、主の祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、彼が逃亡中であるのを知りながら、私の耳に入れなかったのだ。』」 (サムエル記上22章16-17節)
 アメリカがイランに対して空爆を行い、国家元首と側近の指導者を殺害しました。さらに病院や学校を含む一般市民にも多くの死傷者を出したと報じられています。 バチカン(ローマ教皇庁)は、イランへの攻撃は国際法を揺るがし、「もし国家に予防戦争の権利があると認められれば、全世界が炎に包まれる危険がある」と発言しました。 旧約聖書の時代、初代のイスラエルの王、サウルはいつも何かに恐れている王でした。自分の思い通りに人が動かない、「自分が認められていないではないか」という恐れです。そして、あってはならない判断を下しました。サウル王は命じた。「祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、彼が逃亡中であるのを知りながら、私の耳に入れなかったのだ。」王に対して反抗的な思いも行いもしていない祭司が、本人のみならず、家族、親族、町の人々まで抹殺されたのです。 聖書は、人間の歴史を非常に冷静に見つめています。そこには、恐れに支配された権力者の姿が繰り返し描かれています。恐れは疑いを生み、やがて暴力へと変わります。サウル王は王としての権力を持ちながら、心の中では恐れに支配されていました。その恐れが、無実の祭司と町の人々の命を奪うという悲劇を生みました。聖書はこの出来事を美化することなく、むしろ人間の罪の現実として記しています。 「誰にも悪をもって悪に報いることなく、すべての人の前で善を行うよう心がけなさい」(ローマ12:17) 悪に対して悪で返せば、憎しみは増幅します。報復は一時的な勝利にすぎず、平和を生み出すことはありません。イエスさまは十字架の上で、自分を殺そうとする人々のために祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 私たちは国の決断を直接変えることはできないかもしれませんが、祈ることはできます。憎しみの連鎖がこれ以上広がらないように力ではなく正義を求めて祈ること。
《祈り》神さま、世界の歴史の中で、人は恐れと疑いに支配され、互いに傷つけ合ってきました。憎しみではなく赦しを、報復ではなく和解を求める者としてください。
牧師 和田一郎
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