価値の見方
「ベニヤミンの地のアナトトにある私の畑を、どうか買い取ってください。あなたには所有権と買い戻す権利がありますから、あなたが買い取ってください。」私は、これが主の言葉であると知った。そこで、私はおじの子ハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケルを量って彼に支払った。」 (エレミヤ書32章8-9節)
預言者エレミヤが、滅亡寸前のユダヤの畑を買う――それは、常識では考えられない行動でした。国は崩壊寸前、土地の価値は限りなくゼロに近い。しかしエレミヤは、その畑を買い取りました。なぜでしょうか。人の目には価値がないように見えるものでも、神の目には、なお約束の地としての価値がある。エレミヤは、目先の価格ではなく、神の言葉を信じて将来、価値ある土地へと回復するという神の言葉を信じたのです。もちろん儲けのためではなく、神の約束の確かさを示すための行為でした。 こんな考え方があります。「一年で買い換えたくなる千円のモノも、十年以上愛用できる一万円のモノも、年間使用料は同じ千円。長く使えれば愛着とストーリーが生まれる」 確かに、買うときの値段だけを見れば安いものに惹かれます。しかし、長く使い、愛着が増し、日々の生活を豊かにするものは、結果として私たちの人生に深い価値をもたらします。これは単なる経済の話ではなく「価値の見方」の問題です。私たちの社会は、どうしても「今いくらか」「どれだけ得か」という短期的な価値で動きがちです。しかし、その結果、安さの裏側で誰かの負担が増え、社会全体が疲弊していく現実もあります。 エレミヤの時代、ユダヤの土地は人間の目には、まったく価値などありません。しかし、「その土地は、やがて私が回復させる」という、神の約束には確かな価値があります。エレミヤが土地を買ったのは、いわば信仰による価値の見方でした。一時的には損に見えても、神の約束に立つこと。その価値を信じて選び取る。そこに信仰の営みがあります。
《祈り》主よ、目先の手軽さに心を奪われる私がいます。日々の選びの中で、物の価値を大切にする心と、あなたに与えられた永遠に続く価値を見ることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
預言者エレミヤが、滅亡寸前のユダヤの畑を買う――それは、常識では考えられない行動でした。国は崩壊寸前、土地の価値は限りなくゼロに近い。しかしエレミヤは、その畑を買い取りました。なぜでしょうか。人の目には価値がないように見えるものでも、神の目には、なお約束の地としての価値がある。エレミヤは、目先の価格ではなく、神の言葉を信じて将来、価値ある土地へと回復するという神の言葉を信じたのです。もちろん儲けのためではなく、神の約束の確かさを示すための行為でした。 こんな考え方があります。「一年で買い換えたくなる千円のモノも、十年以上愛用できる一万円のモノも、年間使用料は同じ千円。長く使えれば愛着とストーリーが生まれる」 確かに、買うときの値段だけを見れば安いものに惹かれます。しかし、長く使い、愛着が増し、日々の生活を豊かにするものは、結果として私たちの人生に深い価値をもたらします。これは単なる経済の話ではなく「価値の見方」の問題です。私たちの社会は、どうしても「今いくらか」「どれだけ得か」という短期的な価値で動きがちです。しかし、その結果、安さの裏側で誰かの負担が増え、社会全体が疲弊していく現実もあります。 エレミヤの時代、ユダヤの土地は人間の目には、まったく価値などありません。しかし、「その土地は、やがて私が回復させる」という、神の約束には確かな価値があります。エレミヤが土地を買ったのは、いわば信仰による価値の見方でした。一時的には損に見えても、神の約束に立つこと。その価値を信じて選び取る。そこに信仰の営みがあります。
《祈り》主よ、目先の手軽さに心を奪われる私がいます。日々の選びの中で、物の価値を大切にする心と、あなたに与えられた永遠に続く価値を見ることができますように。
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